2016年12月2日金曜日

おかしの話

カバンの中に、なんの経緯か、お菓子をいれることがある。

いただき物であったり、何かのついでに買ったものであったり。

カバンの中に、お菓子がある。この状態が実はなんとなく落ち着かない。カバンの中で、中身が溢れたりしないか、という心配はまるきりないのに。

昔、NHKで『シャーロック・ホームズの冒険』を放映していた。(ジェレミー・ブレッドが、原作についていたシドニー・パジェットの絵にそっくりな風貌であったため、未だに世界のシャーロキアンに絶大な評価を得ている)

なんの事件であったか、ホームズとワトソンが依頼人と共に、張り込みをするシーンがあった。依頼人が寒さを訴え、ワトソンが気を効かしていう。

「キャンディでも、どうです?」

それなら、おひとつと、依頼人が手を出しかけると、イラっとしたホームズがいう。

「ピクニックに来たのではないのだよ、ワトソン君」

露口茂の吹き替えの声が厳しく、ジェレミー・ブレッドの表情も次の瞬間、例によって無表情になる。

ごめんちゃい感丸出しで、包み紙をポッケにないないするワトソン。

そのシーンのせいだろうと、いつも思う。

社会人なのに、お菓子を手元に持っていると、ピクニックに来たのではないのだよと、露口茂の声で叱られるような気がする。

お菓子にまつわる、おかしな話。

2016年11月9日水曜日

二条城行幸図屏風のデジタルデータを見てみた

二条城行幸図屏風とは、徳川家光が後水尾天皇を二条城に招待したパレードの模様を描いた絵画。

絢爛豪華が魅力なだけではなく、その造型の深さが深淵で飽きない。

祖父家康によって徳川幕府は、慶長二十年(1616)に諸国の大名を取り締まる武家諸法度とともに、禁中並公家諸法度を発布した。

つまり鎌倉や室町の幕府が実施できなかった、立法権を朝廷から幕府に移譲させたのだ。

このあと、二百五十一年後の大政奉還までは、名実ともに行政府は江戸幕府になった。(だから幕末に幕府が朝廷にことわりなく不平等条約を結んだという、倒幕派の主張はテロリストと同じ屁理屈)

いわば天皇や公家の権威と伝統は認めるが、権力を剥奪する。そう決定して間もない頃に、孫の家光が、剥奪された当人の後水尾天皇をゲストに迎えて接待するのだ。

それもただのパーティではない。

会場の二条城は足利尊氏の居宅を起源にした、幕府の公式施設であり、新将軍がホストとして迎えるのだ。

実質の権力を握っておきながら、最大限に天皇と公家の権威をヨイショする必要があったし、そのパフォーマンスが派手であればあるほど、伝聞は全国に広まっていく。世論を形成し、地方の小金持ち大名が変な気を起こさないようにするのだ。

当然、絵画記録としても、贅をつくし、レア感を出すことで、「今度の幕府はハンパない」印象を形成できるのだ。

当時の為政者がいかに苦労して作ったのか。何より鳳輦(天皇の乗り物)の表現が驚く。屋根に漆を使って、エンボス加工(浮き出し)を施し、その上から金を塗って、立体表現をしているのだ。(油絵ではないのに、油絵のように立体的になっている)

全体として、とにかく観衆のディティールが細い。衣装、髪型、持ち物にいたるまで、細い描きこみに加えて、戯画的な表情豊かさに圧倒される。後世の北斎漫画や、現代のマンガ文化の起源ともいえるだろう。

90年代以降、絵画作品も史料として研究される、いわばしぐさの歴史などは、こうした絵画を研究するものである。

しかし従来に比べて、研究が遅れてきた理由は、テキストデータの史料に対し、絵画は閲覧が困難であることが多いためだ。書籍なら、机に開いて閲覧できるが、軸や屏風となると、取扱が簡単ではないので、閲覧の準備が必要になる。

こうした宿命的な弊害を、今回の第18回図書館総合展に出展していた、西華デジタルイメージ株式会社はクリアした。高精細なデータとしてスキャン。実物を目を凝らして見るより、拡大表示してみることができる。

オリジナルはオリジナルの良さがある。当然である。しかしそれはレンブラントや狩野派を愛好する人たちがいうことであって、学術研究としてオリジナルを閲覧しないと、分からないというのでは狭量がすぎる。ビートルズを語るのに、LP販でないと、ジョンの正確な声が聞こえないから、いい批評が書けないといっているようなもので、森が見えていない。

むしろ、鳳輦の陰影表現はデジタルデータでしっかり確認できるのだ。


デジタルデータ万歳ではないか。

2016年10月24日月曜日

少年探偵団を電車で読む

ずっと以前の職場で、年配の上司が語っていた。

「高度経済成長期の後だったが、スポーツ新聞を電車の中で読んでると、見ず知らずの年上の人に怒られたもんだ」

次の駅で降ろされた挙句、(公共の場で、大の大人が野球や相撲、お馬さんの情報を貪り読むとは恥ずかしくないのか)という叱責であったという。

概して日本人のモラルや公共心の高さは、評価される。それこうした老紳士の叱責が原動力だったのかもしれない。

某日、筑摩の世界の名著でキルケゴールを安く見つけた。待ちきれず、電車の中で開く。

もともと高校生向けに編纂されたのか、このシリーズ。分かりやすいと定評だったらしいが、一向に頭に入ってこない。絶望が死に至るというオチは知っているが、全然内容が分からない。

電車を降りる間際に、本をチラチラ覗き込んでいたおっちゃんがいう。

「難しいのを読んでるな」

一瞬、厭味かと思った。顔を見ると感心した顔だった。余計にイラっとした。

某日、これまた安く買った乱歩の少年探偵団シリーズを車中でこっそり開く。小林少年が例によって潜入するシーンで盛り上がる。

目的地の駅で降りても、幸い、誰にも怒られなかった。

いや、読んでいるものに、おっぱいが印刷されていない限り、怒られないのではないか? いや、印刷されていても、怒られないのではないか。

2016年10月23日日曜日

単音表記の奇抜なアイデア

脳科学者の茂木健一郎さんがどこかで書いていたように思う。

朝、起きて、一番にすることは、ブログの記事を更新することなのだとか。

朝は頭が起ききっていないから、実は創造的な脳もリブートした直後。

だから理性的、論理的な機能が十分に起ききっていないから、クリエイティブな頭脳が働きやすいというのだ。

なるほどなぁ。

そう思って、早朝に目覚めたメモを、二度寝したあと、朝一番に読み直す。

「ピーヒョロリロピーポッポ、ピーヒョロリロピーポッポ、フリーダイヤルでお繋ぎしております 。ピーヒョロリロ、ピーヒョロリロ、ピーヒョロリロリー」

書いている時は、ものすごいアイデアだと思った。あの単音をカタカナで表現できるなんて。

はて。

何が、面白いのだろう。。。

2016年10月21日金曜日

サゲがっかりコラム

ブログ記事を見ていて面白い記事にたまに出くわす。

今後十年後になくなる職業とは、なんなのだろうかというような内容だった。

産業革命じゃあるまいし、そうそう簡単になくなったりすることがあるのか。

そう思っていたが、確かに記事の通りのことがあった。

コンビニより多くなった整体師や歯医者は、供給過多になって利益を確保できなくなっているという。友人もがんばって整体師の資格を取ったのに、給料が驚く低くて転職した話をきいた。

製造業もどんどん機械化していくという。

印刷も圧倒的にオンデマンド印刷の品質が良くなっている。

ダイレクトメールの受注が激減して、それを短納期で作ることを自負していても、今やなんの価値もないのだ。

なるほどと思える分析で、オチが気になった。

その気になるオチは、

『ウェブが主流なので、ウェブライターは儲かる。詳しくはこちら』。

えええ? 単なる広告?

二十代三十代の頃、アフィリエイトで生活できるようなことを盛んに言われた。新しい働き方だとか、なんとか。

しかしsnsが出てきて、自前メディアを立ち上げる必要がなく、サイト構築に詳しくなくても、情報は発信できるようになった。

さらに企業はsnsで収益が上がらないとわかると、販売してくれる国産やアメリカ資本のサイトに売り込んだ。結局使用者のレビューが広告になった。

アフィリエイトで稼ぐなんて、夢のまた夢である。

結局、アフィリエイトを語る人のビジネスは、アフィリエイトを語るセミナービジネスにあっという間に変化してしまった。

要するにぱちもんやった。

それを助長するようなウェブライター講座。

いやいや、最初になくなるのは、ウェブライター講座ちゃうんか。

春風亭小朝さんが自身の座右の銘を、どこかで語っていたのを覚えている。

「やる人はやる。やらない人は語る」

2016年10月11日火曜日

ニュートン

駅の売店で科学雑誌『ニュートン』を販売しているのを見ると、いつも落ち着かない。購入しようかと、いつもざわざわする。

学研と科学を、購読していたが、ニュートンがいかに素晴らしいか、聞かされてきたからだ。

二色刷りの図書館の本と違い、カラーで天体や、科学反応について教えてくれるのだ。素晴らしい。というか、素晴らしいのだろうと、当時は思った。

とぼけたペンギンとお姉さんとか、キャラなしに、テキストだけを延々読まされるのだ。とりあえず3行目まで読んだのに、内容がさっぱり入ってこない。

しかし大人になって、電車の吊り広告を見ると、キャッチに目を奪われる。

「相対性理論のすべて」

「よくわかるビッグバン」

物理に全然興味なかったが、一冊でわかるのだとしたら、はるかにお値打ちなような気がしてしまう。

それより何よりも、小学校時代に結局、科学雑誌を読みこなせなかったことへの贖罪意識がある。

あの時、科学雑誌を読んでいれば、レーザー工学やら宇宙開発やらの仕事をして、スカイプでNASAのスタッフと冗談を言いながら仕事をしていたのだろうか。並行世界の向こう側の自分は宇宙飛行士なんだろうか(なんか、変なこと言いだしたで)。

科学は苦手。科学なんて自分の人生に必要ない。

そう避けて通るのも、なんかもったいないと思う、浅ましい年齢になってきた。

2016年10月10日月曜日

作務

片付けるのがうまくない。どうせなら、効率よくまとめてやろうと、早い段階で決意して、遅くなってもそのタイミングが見えずに途方に暮れる人間である。

心理テストの話題をサイトでみた。

散らかった部屋で生活させ、パソコンの周りも片付けることを禁止されたグループと、整理整頓を義務付けられたグループ。

心理テストを行った結果、散らかったグループに異変があった。

ありもしないものを視認するという。

そこに存在しなかった虫が見えたり、置いていないものが見えたりするという。

人間の知覚機能には限界があり、散らかった情報の中で、情報が処理しきれずにいわばゆるい錯覚を起こしてしまうのだとか。

禅宗では身辺整理をものすごく厳しく義務付けられている。その辺のこともよくわかるような気がする。根性論ではなく、心理学的にも正解なメソッドなのだ。

座って、内面の思考を止めることを試みる以上、他の情報は最小限に削減していかないと到底できるものではない。

どうでもいい些事に頭を使っていたのでは、落ち着いて座っていられないというのが実態だろう。

できるだけシンプルに。

散らかった部屋で、そう結論が出たあとに、いつも思う。

わかっちゃいるけど、やめられない。。。

2016年10月9日日曜日

電源ケーブルなしの恐怖

macbookairを持ち歩く前に、いつも思うのはバッテリーが大丈夫かどうか。

心配して、杞憂であったことしかないのに、いつも神経質になってしまう。それもこれも、昔使っていたシグマリオンやモバイルギアが、肝心な時にバッテリ切れになったいたことがあったからだ。

それに比べて、macbookのバッテリは格段に耐久性が良くなっている。ちょっとやそっとのことで、どうなるものではない。二年近く使っているが、リフレッシュさえこまめにしていれば、長持ちしている。

しかしどうしても、バッテリが気になる。充分に充電したあと、結局帰宅まで一度も使わなかったということもある。実際には必要ではなかったのだ。

ジョブズ崇拝者ではないから、macbookがなくても、痛くもかゆくもない。

だが、いざ喫茶店などで、腰を落ちつけたり、ウェブを見ないといけないことになって、あわあわとなるのが怖い。

そんなことは一度もなかったのに。

ありえもしないことを、あらかじめ心配して、気疲れする。

ありえもしないことを夢想して、現実逃避している人と大差ないか。

2016年10月8日土曜日

駅前の007

駅前で買い物をして、いつもと違う道を歩いた時、狭い通りの向こうにライトのついた看板が見えた。

「007」

例のテーマ曲が脳裏をよぎる。(ダニエル・グレイブではなく、ショーン・コネリーか、ロジャー・ムーアぐらいのバージョンで)

どんな店なんだろうか。

まさか工作員が密かに集うにしては、大失敗である。いや、ひょっとして新兵器や暗号グッズなどを取り扱っているファンシーショップなのではないか。いや、翻訳ものを中心にスパイ小説やミステリを扱っているブックカフェなのではないか。

ぼんやりそんなことを思っていると、呼び込みの人が近づいてくるので、逃げる。

何でも、お姉さんがお隣でお酒をご用意してくださるお店らしい。ボンドもナメられたもんだ。

どこだったか、アホな校長先生が、保護者のお母さんに対してセクハラまがいのことをして、

「007的な態度が出てしまった」

みたいな頓珍漢を証言していたのを思い出す。

そうである。007は殺しのライセンスとか関係なく、日本ではポコチンのコードネームなのだ。本当にボンドもナメられたものだ。

暗黒街でひとくせ、二癖ある連中に囲まれて、自らのルールに殉じて高潔であろうとする男。チャンドラーが描くハードボイルドの世界である。

それを読んで、イギリス版を書きたくなったイアン・フレミングが一生懸命がんばったが、無理だった。

そこで考えた。

ワイン通で、女性にもてまくり、グーパンチで悪人をあっという間に倒せるヒーロー。ハードボイルドの真逆をいくアイドル。

それがジェームズ・ボンドなのだ。

だから、ボンドは決して殴られても、口の中を切らない。(ジョージ・レーゼンビー以来、新任ボンドの初回作品は必ず「リアルな人間的ボンド」を売りにするが、その実験は必ず失敗して、二作目から元のヒーローものくさくなる)

ハードボイルドはナルシズムの傾向が強いので、好きではない。しかしボンドはもっと苦手。

そしてそれが格好いいと思っている人が、もっともっと苦手。

イタリア人男性のような、軽さと、フランス人男性のようなオシャレを、イメージされがちだが、それは単なる思い込み。

何より、ショックなことは、イギリス人が一番ボンドを嫌っているということ。

イギリス作家の中でも、フォーサイスやヒギンズの主人公たちは、決して人妻さんといちゃいちゃして仕事した気分にはならない。ワインどころか、コーヒーすら飲むのもままならないような、逆境で戦っている。

007の呼び込み店員。仕事とはいえ、そういう仕事もあるのかと思うと、しょんぼりした気分になった。

2016年10月2日日曜日

下巻だけを買うことはない

ブックオフに立ち寄る。しばしば見かけるのが、下巻だけの在庫である。

上巻は多分、買われたものの、下巻だけ、そこで生き別れになって残っている。

何年もかけて、岩波文庫の、ある上中下の3巻を揃えたことがある。(未だに読んでないけど)

しかしこれが実現することははっきりいって、めちゃくちゃレアである。

この相方を失った、健気な下巻の行方がいつも気になる。

いや上巻だけを買って、下巻を買わなかった客のことを密かに恨んでしまう。(そういうと、2巻目から揃っている徳川家康の多いこと!)

安いんだから、せめて上下巻で買えとか思ってしまう。少なくとも、自分はそうしている。

何のことはない。もしも面白くて、下巻も安く手に入れたいと思ったのに、店頭になかったら、と不安になってしまうからだ。

(読んでない複数巻もの不良債権が際限ないこと)

2016年9月29日木曜日

印象こそ鑑賞方法

確か山崎正和のエッセイのはず。面白い話が載っていた。

ダ・ヴィンチがダビデ像を弟子に手伝わせているところ、パトロンの貴族が来て言った。


「ダビデはもう少し鼻が低い方がいいな」
 

イラっとした、ダ・ヴィンチは足元の石膏の粉を左手に、右手に金槌をもってはしごに登る。
 

そして金槌を使って、削るふりをしながら、左手の石膏の粉少しずつ落とした。
 

「こんなもんで、どうですか? まだ削ります?」
 

その言葉に満足したパトロンは帰って行った。
 

芸術を理解できるのは、芸術家であり、愛好家である。金を持っているだけの人には、わからない、というヨーロッパの文化に対する考え方を意味した寓話として紹介していた。
 

その点、日本の仏教は結構ゆるい。
 

そもそもチベットのタンカほど、図像に厳密なルールはなかった。(密教の図像はたくさん伝えられたが、それ以外は認めないという狭量なものではなく、結構なアレンジの余白を残した)
 

そこに表現の幅が生まれる。
 

現代、菩薩として伝えられているものの中には、大日如来のような宝冠をかぶってるのに、弥勒菩薩のように頬杖ついたり、観音菩薩のように花瓶を持っていたりする。
 

だから日本こそ、仏教の正統を伝えていると、保守的な言い方をする人に、なんとなく賛同できない。おまじないのように、色即是空は唱えるが、その空について中論を全く理解していない。すでにそれって、アレンジではないかと。
 

だから、逆に仏像の印象であれこれ語るのも、いいのではないか。
 

紫式部が奈良の大仏を、与謝野晶子が鎌倉の大仏を、美男子かどうかで判断しているのも、いいのではないか。
作り手はそれを考えて、作ったと想定するほうが自然なのではないか。
 

それをありがたいの、ありがたくないのと、周囲の受け売りで判断してしまう。それこそお釈迦さんが嫌った権威主義ではないか。
 

ちなみに私が一番の推し仏は、興福寺南円堂の無著像
 

「一回、頭冷やそうか」

と言われている気分になる。

インド料理屋で見つけたお釈迦さん。後光というより、お布施のライス、ウマー!   

2016年9月25日日曜日

完全犯罪的更新

テキストを作成する。

公開する時間を設定する。

公開を告知するツイートも、時間設定のメールで送信設定しておく。(Boomerang for Gmailを使って、時間送信をする。送信元メールアドレスをhttps://yabm.in/ で登録しておく)

そうすると、設定していた時間に記事が公開され、ツイートも入る。

犯行の時間帯に設定して、黒っぽい服装に着替えて、いざ凶行に及ぶ。ガツンとか、ブスッとか、バタンキューとか。

指紋を綺麗に拭い去り、帰宅して事件が判明する。関係者として事情聴取される。

「独りでいましたが、その時間は自宅でブログを更新していました」

田村正和に問い詰められても、いけしゃあしゃあとそう答えるつもりだ。きっとブログの更新とか、理解するのが面倒くさそうだから、手間取るに違いない。(何回か、あのくどい口調で、問い詰められるとしんどいか)

誰を殺すか予定は今のところないが、アリバイを工作するなら、こういう段取りである。

ツイートをメールで投稿できるというのは素晴らしいアイデアである。

結構、面倒臭いが、臭い飯を食わされるよりマシである。

殺人のアリバイに使うようなことにならないといいけど。
(ここまで書いて、このテキスト自体が、犯行の証拠になるのではないかと実は心配になってきた。当分、殺人の予定は立てられない)

あかんかなぁ。。。田村正和にバレなくても、バカ笑いせんかったら、いけるような気がするんやけど。

2016年9月18日日曜日

小銭は落ちていない

商品を一割引すると言われると、面倒臭いのに、ごめんなと思ってしまう。

心持ち、割引してくれているのに、その気持ちにもう一つ応えられるほどテンション上がってなくて、ごめんな、もある。

ところがポイントカードとなると、話は違う。大手の電化製品の店で、フリクションの中身を補充しようとレジに並んだ折、ポイントで支払うとうなづけば、タダでくれてやるというのだ。

もともと値段交渉をする風土があったらしいが、ほとんどそういうものは見かけられなくなり、今やこのポイントである。

味をしめて、他のポイントも貯めることにした。ウェブで登録するだけで、あらゆる小銭の支払いに一割程度のポイントがつく。

ある日、そのポイントの有効期限がきたと連絡を受ける。

慌てて、使おうとするが、493ポイント。500ポイントからでないと使えないという。残り7ポイントを何か買い物しようか。

あれこれ調べかけて、ふと手を止める。

500ポイントといいながら、500円未満のものを手にいれるために、今から何かを買わないといけないのか。

品物を探して、見つけたサイトが別なら、そこと提携しているところにさらに登録をして、手元のカードの番号を入れて。。。

そうしてようやく500円のポイントで選べるものの中から、何かお得なものを見つけるチャンスにありつけるのだ。

ううん、二度手間。

お得感を見せようと、ポイント何倍とか、なんとか還元とか、チカチカした毒々しい広告を延々とたらい回しにされなければ、500円は手に入れらないのだ。

なんか逆に惨めな気分である。

フリクションの中身をくれた店舗とは、扱いがまるで違う気がした。

小銭はなかなか落ちていない。それでいいではないか。

2016年9月15日木曜日

大きなくしゃみの

口元は手で隠すが、ひどく大きな声を出して、くしゃみをする人をしばしば見受ける。

あるフリーライターの女性は、くしゃみが大きかった。

彼女が姿を消して、誰かが探しかけても、お手洗いからくしゃみが聞こえるので所在が分かったこともあった。小心なアルバイトの女の子は、彼女がくしゃみをするたびに、飛び上がって驚いていた。

なくて七癖というが、大きなくしゃみをする人は意外と自覚がない。

こちらも気にしなければいい。そうは思う。

ただ、図書館など静かな場所でそういう人に出くわすと、ものすごい存在感を見せる。当人の悪びれない様子がひときわ滑稽になる。

そういう時にふと思う。

こういう人と、盗みに入らないといけなくなったら、災難だろうなと。

まるで、ドリフのカトちゃんではないか。

そっと鍵を開けて、家主が寝てる部屋に忍び込み、枕元の棚に手を伸ばし、通帳と印鑑に息を殺して、そっと手を伸ばす。

その瞬間である。

「ひっくし!」

と力いっぱい、シャウトされるのだ。

いかりやならずとも、頭をはたきたくなるに違いない。

カトちゃんだから、笑えるのであって、彼以外が大きなくしゃみであれば、どうなるか。

よく考えてみた。

カトちゃんなみに、笑えるだけではないかと。

2016年9月13日火曜日

お腹周りの原材料

久しぶりにお替わりできる定食屋に。

おかずを半分残して、お替わり。残りの配分を考えてみたりと、充実の白ご飯ライフである。

隣に座った、かなり、どすこいな兄さんが、てんこ盛りの何かの唐揚げを前に、三度目のお替わりに立つ。おかず2対白ご飯8ぐらいのペースではないか。

お替わりの正体見たりお腹周り。

もうちょっと少なくしよっと。

2016年9月7日水曜日

十字架macbook

自分はmac book airのオーナーである。

周囲の羨望を余り几帳面に受け止めないことで、無駄なジェラシーを買わないように努めている。

mac book airを持っていると、マルチタスクにいろんなことができるし、ちっこいオフィスを持ち歩いている気分になる。

メールの確認? web検索? 書きかけのブログ記事の更新? ウェブクリップ? スケジュール追加? SNSのチェック?

それらを並行して、カンタンに終わらせることができるんです。

「そう、mac book airがあればね」

ただカミングアウトすると、ちょっと問題がある。

重い。

結構大きい15インチ。

バッテリは丁寧に、ほぼ毎月リフレッシュしているので、長持ちしている。だから、使い始めたら便利だが、使い始めることなく、疲れて帰宅してしまうと愕然としてしまう。

シグマリオンや、リブレットすら重いと感じていたのに、何をしているのだと。

ジョブズが封筒から取り出した時は、確かにびっくりしたが、彼はカバンにいれて長時間移動していなかったはずである。

OSXは快適だが、iosは信じない派であるが故の十字架である。

airより、もっと軽いmacbookは出ないものだろうか。そんなことをずっと期待していたら、CMが流れてきた。

ペン付き、i-pad pro。

保守的なごりごりなmacファンは一体どこにいったんだ。この憤懣を代弁してくれるんではないのか。

2016年9月2日金曜日

果てしなく長かったストーリー

エンデの『果てしない物語』がgoogleのロゴ(Doodle)になっていた。

出版37年のお祝いとか。

原作も図書館でなかなか借りられなかったりしたものである。

シンセサイザーに乗せた幻想的なテーマ曲、スターウォーズ以来のド派手な特殊効果(ふわふわのファルコはクレイアニメじゃない!)。

何よりもリフレインするタイトルが良かった。

原作を借りたものの、途中から映画と異なり、どんどん面倒くさくなって、挫折したのを覚えている。

「後半は本の世界に入ってしまったバスチアンが、自分の名前すら忘れてしまう話であって、映画みたいにいじめっ子をやっつけるようなオチとは無関係」

したり顔で友人に言われた。

ああ、そうなんや。なんか、難しそうやね。

テーマがいい。セリフがいい。ストーリーがいい。などなど、したり顔で語る人も見た事がある。

ううん、ますます気後れ。その点では『モモ』はごちゃごちゃ説教してなくて、楽しく読めた。エンデ・ファンにバカにされるんやろなぁ。

映画派を小馬鹿にする原作派。やっぱり感じ悪い。(のちに指輪物語でも同様のことを感じる)

いじめられた子供が、空想の世界で気持ちをリフレッシュして、現実に戻ってくる。映画のように、それだけの話でもいいではないかとも思ってしまう。リアルの世界だと、引きこもってしまう子供も多いのだから。(そこか?)

『果てしない物語』のハードカバー版は、現実のシーンと、空想世界のシーンでは文字の色が違う二色刷り。

大人になって気がついたが、それがどんだけ印刷会社にとって面倒臭いことか愕然とした。ページの途中で場面が変わるのだ。もちろん一枚ずつ印刷しているわけではないので、多ページのどこと、どこで色が変わるのか、全部管理しないといけない。

面倒臭いな。。。

そこまで苦労したのに、自分はブックオフで安く買ってしまった。

大人になると、素直にファンタジーの世界には入れなくなってしまう。

印刷コストへの敬意と、それを正当に評価しなかったような贖罪感。でも羨望。そしてあんまり先に進めない徒労感。

果てしない読書時間は、まだまだ続く。。。

2016年8月28日日曜日

依頼された盗撮写真

どうしても経済的に支援したいという、見ず知らずの女性から、メールが届く。

他にも申し出をいただいているので、丁重にお断りしようと思うが、返信の文面を悩んでいるうちに、次々同様に届く。モテ期がやっと来たのに、仕事で忙しいとは、なんたるザマか。

今度は変わったメールが届く。

ご家族に依頼されて、あなたの行動を撮影させてもらった。

消去するのに、費用が発生するというのだ。

さてはブックオフで浪費したところを撮られたか。アイスを一日に三本も食べてしまったことを撮影されたか。

しかしふと思った。

コストかかりすぎやろ。

無駄な出費については手厳しい両親が、わざわざ探偵みたいなのに費用を払ってまで撮影させるなんて。そんな金あるなら、くれ。

手口が雑だと、がっかりしてしまう。

スパムメールはコストがかからないというのが、送信側のメリットらしい。

一万円を偽造するのに、一万円以上かかっては、犯罪として失敗である。反社会的勢力ほど、コスト意識は厳しいらしい。

印刷会社もかつてはダイレクトメールの受注があったが、今や閑古鳥だという。なぜなら、電子メールで代用してしまうと、格段にコストが低く押さえられるからだ。

うっかり騙される方が悪いというのは、子供でも分かる理屈だ。

しかし巧妙に騙されるのだとしたら、どういうことだろうか。示談金でもなく、還付金でもなく、投資話でもなく、ましてや下半身でもなく、新しいmacbookairの格安販売ですらない方法で、自分が騙されるとしたらどんな方法があるのだろうか。

兄弟が海外旅行した時に、SNSで連絡をしてきた。

トラブルに巻き込まれて、送金してほしい旨のメールが届くかもしれないが、無視しろと。無事だと。

言われてから、よくよくみると、確かに本人名義で、それらしいメールが来ていた。ただし英語。

ううん、ちょっとイラッとする。

騙すにしても、翻訳しないなんて、騙すにしても、不親切ではないか。手口が雑。

2016年8月10日水曜日

メタルなど愛していない

音楽を楽しめるといいだろうなと思う。

ヘヴィ・メタルの音楽をよく聞くが、本当は好きではない。

ミニスカートの女の子が腰を振るような、ポップソングだけを聞いていられたら、どれだけ気が楽だろうと思う。

その反面、いざポップソングを聞いているとうんざりする。

メタルをかけると、楽しくなってしまう。集中力が高まり、高揚する。

老婆の娼婦に金を払い続ける男。そういう歌詞の曲もある。聞きながら、自分がメタルというジャンルのぬかるみにはまり込んでいることに気がついた。

まさに老婆の娼婦に払うとは、こんな気分ではないかと、ぞっとした。

無論、悪趣味なことを誇るような、偽悪な楽しみ方はいただけない。

本当はメタルが嫌いだし、メタルがない人生がいかに明るく充実したものになるのか、想像すると、羨ましくて仕方がない。

だからメタルのファッションをしている人とは、全然会話が弾まないだろう。

好きでもないメタルに、捕らわれた人間と、メタルが大好きな人の違いである。

できたらメタルは聞きたくない。グロテスクなパフォーマンスに、不気味な音律。

悪趣味だし、不健全、不愉快、不衛生である。そう分かっているのに、聞かずにはおられない。ああ、寝苦しい。

衣装やメイクの割に、おしゃれポップの代名詞の人たち

2016年6月16日木曜日

若い犯罪者に腹が立つ

三面記事を目にしてしまう。

交際相手の女性を殺害した加害者が死刑を宣告されたとかなんとか。

正義感でもなんでもなく、心底イラっとする。

若く、努力すればいくらでも、道が開けただろうに、もっとたくさんいろんなことができただろうに。何か世の中を動かすことができただろうに。

そういうことを思うと、短絡的で自らの可能性を,むざむざ踏みつけにしている自傷行為の甘さに腹が立つ。

「一億円宝くじで当たったから、一万円で尻を拭いてみた」

そんな人間がいたら、誰だって怒るだろう。無神経で、低俗で、軽薄だ。

交際相手に振られることはショックだろう。しかしその苦痛も、生きている証拠ではないか。らくらくと、女性にちやほや愛されて、生きていけるのが、充実した生だとでもいうのか。

その甘ったるさにも腹が立つ。

惨めさの真ん中で、惨めになって生き抜いていくのも生ではないか。

苦しみに囲まれて、逃げ出しようがなく、苦しみぬくのも生ではないか。

安穏と、膝の上に抱かれて、ぬくぬくと生きながらえることが生だとでもいうのか。

惨めなことも生ではないか。

その覚悟のなさに、思い返して、やっぱり腹が立つ。

混んだ電車の中で、平然と足を組んでいる若者に腹が立つのとは、桁違いに腹が立つ。

おじいになっていく証拠だろうか。

2016年5月30日月曜日

文房具の効能

福田和也がエッセイの中で、文房具の魅力について語っていた。

飛行機の中で、ワインを飲みながら、上質紙でもかなり分厚い紙で、しっかりと上製本された手帳に、高級な万年筆で資料を書き写す。至福の時だという。

高級な万年筆など、ついぞ所有したことはない。

ただでさえ、ものを無くすのに、そんな高級なものを持ち歩いていては、うっかり無くすかもしれない。書くのに使うなど、もったいなくてできやしない。

そういう性分である。

だから、万年筆の魅力はあんまりわからない。

あんまり、というのは、生の原稿などを見ているからだ。
池波正太郎は達筆である。自由闊達に万年筆を走らせているが、一字が実に整っている。編集者も仕事しやすかっただろうなぁ。

その点、ひどいのは司馬遼太郎である。

マス目にはしっかり書くが、ほとんど記号。編集者は大変だったろうなぁ。

そういう原稿を見ると、紺色であったり、黒であったりするが、太字で実にしっかりとインクが出ているし、まさに走らせている。

先の福田和也はいう。ちょっといいものを所蔵すると、それを使ってみたくなる。使ってみたくなることが大事で、意識せずに書くことが楽しくなり、その時間、いいものが書けなくても、書き続けることでスランプを脱することがしやすくなるという。

いいなぁ。そういう意味では、グリップが魚肉ソーセージみたいな万年筆を取り出し、もったいつけてキャップを外して、無駄に読みにくい字を殴りつけて、書き味とやらを堪能してみたい。

意外にも、映画プロデューサーのJ・J・エイブラムスも同様のことを言っていた。

着想を考える前に、macbookairを使うと。

SSDのおかげで、数秒で起動するし、画面の動きが楽しいから、いつまでも触っていられる。そして端末に触っている時間が長いから、自由に書いたり、調べたりできる、というのだ。

万年筆はもう一つ、ピンと来なかったが、macbookairについてはよく分かる。

このテキスト自体、macbookairで書いている。簡単に書いているわけではないが、お気に入りのosのおかげで、色々と捗る。

ただし、福田和也と違うこと。

ずっと快適に触ってはいられるが、そんなに次々とブログの記事が更新していけないこと。

画面を見ていても、そんなにヒントは見つからない。

2016年5月29日日曜日

たった五分で

PHPユーザー会のライトニングトークで面白い話題をしていた。

仕事の担当が、コードを書かなくなった登壇者の話。

久しくコードを書かないと、書かないといけない。スキルが落ちていくのではないかという不安になるという。

そこで、一日五分だけでも、コードを書くようにしていったと。

最初の数日は5分の短さと、何もできないことに愕然とする。

しかし続けていくことで、問題が明確になり、5分のつもりが時間を都合するようになっていく。

さらには明日の五分はここをやっていこうと、明確になっていく。

やらないと、とあせるだけで何もしないくらいなら、少しずつやっていくべきだ。その最小単位は5分でいい。

そういう話題であった。

たった5分では何もできないのか、5分だけでも、何かをしたのか。

そういえば、定年退職して嘱託で勤務している人が、パソコン教室に通ってみたが、全部忘れたと語っていた。

必要に迫られていないこと。時間が無限にあること。

それらは実は、優雅に勉強できるようで何もできないのだ。

そういえばどこかで読んだことがある。

トルストイは新聞連載という形式で、毎日締め切りに追われたからこそ、原稿を書き続けられることができたと独白した。

気持ちを高めることとか、集中することとは、ちょっと温度が違う。いわばメソッドなのではないか。

継続こそ一番難しいが、5分だけなら、できそうかも。そんな気分にさせられた。

2016年5月27日金曜日

海馬に個人情報は守れない

先輩が女性と呑んだときのことを話していた。

「終電間際に込み入った話を始め、オチをいかに伸ばして、終電を逃すか。ここが一番難しい」

結構な頻度で、女性たちは上の空で、にこやかに終電に滑り込まれていたらしい。(あかんがな)

酩酊していたり、眠たい時には正しい判断はできない。

飲酒も睡眠も、理性を司る大脳皮質が眠り、快・不快だけを判断する海馬が優先されるかららしい。

夜更けのラブレターは投函してはならない、というジンクスも、いわばこういうこと。

書いていて一人で盛り上がり、恥ずかしい告白をしているだけならまだしも、相手がドン引きするぐらい舞い上がってしまうのが原因らしい。

macbookがもらえるというアンケートに、うつらうつらしながら、応答した結果、アカウントをうっかり乗っ取られそうになった。

眠たい時のデジタルはろくなことにならない。

酩酊していいものができるのは、杜甫や李白のような漢詩だけなのではないか。(俳句や散文詩に酒は似合わない)

海馬に個人情報は守れない。

おかしな話、眠い時、実は「自分は眠い」という状態も、眠たくて適切に判断できていないのかもしれない。

2016年5月22日日曜日

そうでもない日本人

海外のジョーク。

ライバル会社が利益を急激に上げた。

日本人の場合。「あの会社はきっと、何か工夫をしたにちがいない。何をしたのか調べてみよう」

アメリカ人の場合。「あの会社はきっと、何か不正をしているに違いない。何をしたのか調べてみよう」

中国人の場合。「あの野郎、許せねぇ」

(冷戦時代、オチに使われるのは決まってロシア人であったが、今や中国である)。

そう。日本人は他社からいいところを学ぼうと、結構高潔なところを当然としている。不正があったら、それこそ「同業者として恥ずかしい」とか、アメリカ人以上に怨念じみた呪いごとは辞さない。

勤務先の協業他社が、熊本の震災に対して、対応し、サイトで報告をしていた。そのことを先輩と話していて、彼はいった。

「素晴らしい。見習いたいですね」

まさに”あの会社は工夫したに違いない”の視点である。

ホリエモンの逮捕前後だったか、彼がテレビ媒体を買収するとか言い出したあたりから、日本人のモラルをメディアがやたら騒いでいた。

働かずに、株を売買するだけで利益を得るだなんて。そんなことを、テレビの広告でメシを食う人たちが、にわかに色めきだっていた。

日本人は怠けるようになった? そうか? 怠けているくせに、目立つ人がいるだけではないのか。

真面目に働く人。汗水を垂らすことを惜しまない人。ライバルからヒントを盗み出して、より良いものやサービスを見つけようと努力する人。

Yes, We all japanese.

2016年5月21日土曜日

フリー素材

以前は、誕生日やお正月に、ミニゲームやgifアニメなどをつけることがはやった。

今は写真ばかりか、ai素材もフリーで紹介している。写真ではない。オブジェクトデータとして作られた、aiデータそのものが公開されている。http://www.appli-cation.com/

一定期間、フリーでお試しいただけて、あとは有料です、というのは古いビジネスである。


フリーのイラストをよくみるが、不思議でならなかった。密かにビジネスになっていることをきいたことがある。

フリーで作って、無料で公開しておくことで、知らず知らずにそのイラストのテイストに見慣れてしまう。何かの拍子に、オリジナルにアレンジしてもらったものが必要になり、作者に注文することになるとか。

無料という看板ほど、わかりやすく、飛びついてしまうものはない。あとからお金払ってね、ではないバージョンをいかに確立していったのか。

テレビだって、映像と音声を配信することは、技術的にはそんなに新しくないらしい。

ただ広告収入と結びつけて、費用と利益を弾き出す方法は、新しい(今や古い)のだ。

フリー素材といって、そこからイラスト作家がいかに、収入を得るのか。ユーザーも気持ち良くたいかを支払えるモデルとはなんなのか。

思いついたら、きっとザッカーバーグみたいに、遊んで暮らせるんだろうなぁ、といつも思ってしまう。

仕方がないから、aiデータで我慢する。http://www.appli-cation.com/ill/10245.php



aiデータで公開されている一万円札のイラスト。
プリントアウトして、リアルに使えたらなぁ。。。

2016年5月19日木曜日

ほとけの国

ツイートを色々と調べることがある。

なかに面白いものがあった。

「仏会社と合弁で、というニュースを見て、お寺かと思ってた」

というようなツイートがあった。

フランス=仏国。

日本に来て間もない知り合いが、疑問に思うと話していた。

「どうしてフランスは仏教国でもないのに、仏なのか。アメリカのライスをそんなに好んだ歴史があるのか?」

 フランスは仏蘭西。アメリカは亜墨利加。ドイツは獨逸。こうした表記があったから、今なお略称で用いる。

 では、いつか。

 どうやら明治に開国した際、中国語の通訳を介して表記したのが最初(中国人はカタカナや平仮名のように、表音文字を持たないため、発音の似た漢字を当てはめるしかなかった)。

 富田常雄の小説『姿三四郎』では、こうした表記がやたら出てきて、明治の雰囲気を演出している。

 問題はイメージ。

 仏の国=温和であったり、深く思索している人たちが住んでいそう。

 なんとなく、インテリで文化的なイメージを連想していないだろうか。フランス革命で民主的な文明国であるかどうかより、おしゃれで、優しい人たちという想像。

 もちろん、勝手な片思いに過ぎないが、なんとなくイメージを膨らませているような気がする。

2016年5月17日火曜日

瞬読ーおバカな読み間違いの続き

就業後、仕事場を出る時に、「古本」という文字が視界の端を飛び込んできて、振り返る。

古本屋とは縁もゆかりもない、一階のフロア案内版の前。

ゆっくり周囲を見渡して、気がつく。

古本という人の個人事務所がフロア案内に載っていた。我ながら、すごいチェック能力である。

仕事にあんまり、生きてないかもしれないけど。。。

2016年5月16日月曜日

エド・マクベインは永遠に

華やかな推理劇や、ストイックな探偵も登場しないし、ましてや萌えキャラの助手を交えた、ユーモアミステリともかけ離れている。

汗臭いおっさんたちが、地味に聞き込みする。被害者家族の惨めな訴えに胸をいため、チャラけたチンピラたちに手を焼いて、頑張ってるのに撃たれたりする。

一人ずつが地道にがんばって、ある弾みで事件が解決するというのが定番の、エド・マクベインの87分署シリーズ。

どこまで読んだのか、いつもわからなくなる。

どうして徳川家康のように、4巻の次は5巻というように、分かりやすくナンバリングしてくれないのか。

古本市でしばしば見つけては、見たことあるタイトルに、すでに買ったかわからなくなる。思い切って買う。帰宅してがっくし。本棚にすでにあった。それも2冊とか。

wikipediaからリストをコピペして、スマホで閲覧し、在庫しているか確認したら、どうか。

ところがどうも、せどりしているようで、気恥ずかしい。

だから、結局集まらないし、どこまで読んだのか、曖昧になる。キャプテンフューチャーも、どうしたのか、もう考えないようにしている。

やっぱり安く読むのなら、リストにするしかないようである。

ローダンシリーズや、ダークピットでなくて、ほんとによかった。(似たようなもんか)

2016年5月15日日曜日

windows10はあきらめましょう

 『ビッグバン・セオリー』というコメディの中で、一人がいう。

「みんながいない、こういう時こそ、とっておきのことがしてみたいんだ」

 すると主人公のシェルドンが満面の笑みを浮かべて言う。

「良かった、そうくると思って、特別なものを用意してるんだ」

 そういって、久しく使わなくなっていたノートPCを取り出して言う。

「最新のubuntuを試す絶好のチャンスだね」

 気持ち、分かりたくなかったけど、わかってしまった。

 まとまった時間を、オープンなOSのインストールと始動に費やして、色々試してみたいという欲求。未開拓に踏み込む面白さである。(ubuntuとは南アフリカの言葉で”他者への思いやり”。アメリカ資本とは全く無縁である)

 似たことを試みる。

 windows7を使っているが、年明けから、脅迫されていた。早く更新しないと、しらねぇぞと。

 週末なので、思いついて、アップグレードを試みる。フラグに導かれるままクリックするが、何度やっても、同じ画面に出て、再起動を繰り返している。

 どんな具合か、テキストで表現するなら、こんな感じ。

 最新osが今なら、無料で使えますよ。
 最新osが今なら、無料で使えますよ。
 最新osが今なら、無料で使えますよ。
 最新osが今なら、無料で使えますよ。
 最新osが今なら、無料で使えますよ。
 最新osが今なら、無料で使えますよ。
 最新osが今なら、無料で使えますよ。
 最新osが今なら、無料で使えますよ。
 最新osが今なら、無料で使えますよ。

 結局、再起動をはじめ、こちらからもう一度,win10を触らせもらえないか懇願と嘆願を繰り返さないといけない。繰り返しても、触らせてもらえるかどうかは別。

 またいつものマイクロソフトに担がれた気分である。

 結論は一つ。

「やっぱりwindows10はあきらめよう。知り合いのwin10はvistaなみに使えなかったし」

 はて、なんでそもそも、win10をつかわないといけないのだったっけ?

 安定のループ地獄。うまくインストールできても、早くなるとは限らない。

2016年5月14日土曜日

おバカな読み間違いは続く

仕事からの帰路、コンビニに立ち寄る。

ふっと、視界によぎった単語が読めて、振り返る。

厚切バリウム

あの身体検査の日の、お腹重たい憂鬱なものは、液状ではなかったか。いや、そもそも、お菓子のコーナーにバリウムが並ぶのか?

目を凝らして、読み直す。

”厚切りバウム”

ううむ。なんか釈然としない。google翻訳で発音を聞いてみた。

Baumkuchen」(独)

ほら、やっぱり”バーム”やないか。(そこじゃないかも)

2016年5月11日水曜日

標準語の冷たさとか

関西の古い人や、東京をよく知らない人が時々いう。

「東京の人間は冷たい」

確かに細やかなニュアンスを膨らませる言葉として、関西弁は使い易い。

「あんじょうしたって」(適切な処置や、取り計いをよろしくお願いします)

などは、最たるものではないか。

確かに感情表現に便利なところはある。しかしそうではないところに対して、情が薄いというのは早計ではないか。

ずっと前に、東京の人と話していて面白かった。

何か、気取った形式、形骸化したもの、見た目だけで実態のないものに対して、彼はふと言った。

「洒落臭いですねぇ」

もちろん文部省が百年前に定めた標準語とは、ほど遠い。いわば江戸訛りではないか。

”洒落臭い”を関西弁に翻訳しようと思った。いちびり。ぱちもん臭い。どうも違う。洒落臭いがピタリと言い当てているような気がする。関西弁が万能なら、これよりもっと適切な形容詞があるはずなのに、ないのだ。

お国訛りを自慢する、薩摩や長州の藩閥政治が結局、多様性を必要とする国民国家の発展と折り合いがつかなかった。

そこで誰もがヒアリングしやすい標準語を策定した。当然、情感を表すことよりも、情報伝達を最優先に構築されている。

だから、情感が伝わりにくくて当然であるのだ。冷たく聞こえるようで、本人の気持ちはきっと言い足りないところにあるのだ。

そう思わないと、訛りの特権を持っているだけの、百年前の、薩長土肥の人たちから、何も変わっていないことになる。

それこそ、洒落臭い。

2016年5月8日日曜日

予習はいつも忘れてる

京都国立博物館に行きたい。

今回は 禅ー心をかたちにー という展示。

禅宗の文化にものすごく興味があった時もあって、蔵書は次第に沢山あるが、結局、道元の『正法眼蔵』が難しすぎて(仏教学者も難しいと言っていた!)、なんとなく疎遠になっている。

絵画を見れば、比較的楽しめる。

問題は題材を知っているのと、そうでないのと。

楽園追放や聖母子像を、画家がそれぞれどうとらえて表現したのか。結構ゆるいルールで個性が発揮できるため、それぞれの表現を比較するのが面白い。

これがチベットの仏画だとそうはいかない。仏像の顔立ち、持ち物、姿勢、色彩、全て細かくルールが決められており、逆に没個性的であることに意味を持つようになる。

禅の基本的コンセプトは、言語を超越した真理へのショートカットである。

禅問答、などというが、問答といいながら、言語の応酬が無意味であるというのが、大体の結論。

それゆえに、ものすごく絵画表現も観念的になったり、俗化したりと、ブレ幅が大きい。

ただし、題材になるエピソードを知っていないといけない。

毎回、そう思って展示をぼんやり眺めて帰ってくる。いつも、損した気分である。

2016年5月6日金曜日

聖徳太子とやっつけ仕事

聖徳太子は一度に十人の話を聞き分けることができたという伝承がある。

ドリフのコントで、カトちゃんが聖徳太子に扮して、訴えを聞いていた。

十人同時にしゃべり、振り返ると耳が十組タテについていたというだけ。カトちゃんの顔オチというネタである。幼心にも、やっつけ仕事感を感じていた。

説話としては、たくさんの人間が訴えたことの本質を理解し、ディレクションする能力に長けていたというメタファーであろう。

こどもの日に、作文を書かされたのを思い出した。家族で買い物にいったことを書かされることになった。

スーパーに行って何を感じたのか、どう思ったのか。母が優しい声色で迫ってくるが、それが時間ととにも豹変することは明白で、慌てて書き始めた。

野菜コーナーを見て回るときに、商品やキャンペーンの告知アナウンスがうるさいぐらい、立て続いていたことを思い出す。ふと思いついたことを書いた。

(聖徳太子でも、聞き取れないくらい、いっぱいしゃべってた)

馬鹿馬鹿しい。内心、例えの稚拙さに閉口しながら、字数を稼ぐために書いた。

しかしひどく母親がほめそやすのである。この例えは素晴らしいと。んな、アホなと思った。

そのせいか、今でも聖徳太子が十人の話を聞いたという、説話を聞くと、なんとなく気恥ずかしいような、やりきれなさを感じる。

カトちゃんを小馬鹿にしたくせに、自分もやっつけ仕事をしたような、変な気まずさ。

2016年5月5日木曜日

安いものほど高くつく

使い終わったペットボトルのストックをまとめて捨てたいと思っていた。(ストックて)

そこで、「ペットボトル 圧縮」で検索した。


ペットボトルつぶし 吸いまっせ! 圧縮 YR-001SU


というものが結構上位に出てくる。これこれ。

注文しようとするが、色々な値段が出てきた。

(うわ、amzonが日本のとこの倍やんけ。外資使えんなぁ)

そう思って、国産の大通販サイトで注文する手続きをした。

しかし、途中で手が止まる。

送料あわせると、突然二倍以上の金額になるのだ。あと何円で、送料無料とか言われても、広告ががちゃがちゃしすぎて、目がちかちかする。。。

ふと思った。ということは、密林さん、どうなん?

プライムの価格として二倍であったが、送料は無料。

結局、密林さんで注文して、一ヶ月のプライム無料に申し込んだ(一ヶ月後は自動更新になるから、設定画面で「更新しない」もちゃんとチェックした)。

プライム会員て、一年で3900円も取られてしまうのだ。映画やテレビ番組を見放題、音楽聞き放題とか言われても、高いと思った。

なぜなら、netflixなら格安の650円/月なんやから。。。

はて?

325円×12ヶ月=3900円 < 650円×12ヶ月=7800円

公文式やってて良かった。要、検討である。

2016年5月3日火曜日

司馬遼太郎の見た国鉄社員

エッセイの中で、司馬遼太郎が言っていた。

国鉄時代の大阪駅で切符を買った時に、乗り換えを職員に尋ねたところ、顎でしめされたと。惚れ惚れするような、官僚的な態度であったと揶揄していた。

無学な民百姓のために、お上が施してやっているという、五箇条の御誓文以来の、古式ゆかしい官僚文化が残っていたのだ。そんなことを書いていたと思う。

この一節がどうも頭に残っている。

自分で動かず、顎で人を使うかのような人や、物言わず高圧的な人に出くわすと、脳裏で、マッシュルームカットの司馬翁がニタリと笑う。

惚れ惚れするような。。。

と彼の初期の、改行の多い文体を思い出してしまう。

恐縮したり、平謝りをしてみせるが、本心では脳裏の司馬翁に釣られて、ニタリとしている。

嫌な大人になったものだ。

2016年5月2日月曜日

タレント似

風貌がタレントの誰に似ている、というような話題が以前の職場であった。

後輩の女性が、結構二枚目の俳優に似ているのではないかと言ってくれた。

うほ。そうなん?

googleで画像検索してみた。いやいや、俺の方がイケメンやろ。

すると彼女は検索結果と見比べて言った。

「あ、ごめん。あんまり似てないかも」

って、ヲイ! その、やってもた感はなんや!

2016年5月1日日曜日

聖徳太子パクリ説破れる

絵画表現のなかで、中世の日本は、特にポップカルチャーとして、寺社縁起(来歴エピソードのビジュアライズ)が発達する。

そうした背景を現代にまで継承していたのが、四天王寺の絵堂と言われている。

たまたま古本市に立ち寄った際に、絵堂を公開し、しかも”絵伝”と呼ばれる、いわばトークショーを拝観できた。

諸説あるが、仏壇の原型が、こうした僧侶によるトークショーである。(絵画より耐久性のある木製の仏像を背負って、地方を巡業し、本山への棄捨を募る僧侶たちがたくさんいた。彼らの背負ったものが、片付けられる仏教オブジェとして、仏壇になっていく)

開基聖徳太子の事績を紹介するもので、何度も戦災や焼失した経緯があり、八代目なんだとか。吉川英治の小説の挿絵も描いていた杉本謙吉の筆である(だから物部と蘇我の合戦シーンは臨場感に溢れている)。

お坊さんの話が面白かった。

「厩戸王子という言葉から、イエス・キリストを連想されたことが多いと思います」

そう。キリスト教文化が日本に入ってきたとか、結構明治時代から取り上げられている話題ではないか。

「しかし実際は、妊婦さんが産気づいて、移動中の振動に促されて、出産することは今でもよくあるらしいです。だから、駐車場である厩で出産することも珍しくなかったようです。また当時の地名が馬屋という場所であったという記録があります」

ええ。奇抜な説の方が面白いのに、地味に解説されてしまった。キリスト=聖人=大陸からの文化流入=聖徳太子のネーミングという方が、圧倒的に面白いではないか。

「後世、伝承がそうした想像を作っていったのでしょうが、実際はキリストの伝承を引用したとは考え難いようですね」

面白いのになぁ。法隆寺に十字架が隠されているとか、そういう設定の方が。

ペルセウスも、モーゼも、小舟に乗せられたのを、拾われて育てられたヒーローであり、本邦勇者桃太郎もドンブラコとやってきてほしい。

それと同じく、聖徳太子も聖人として設定するため、新約聖書からパクった、という方が面白いのに。残念。

2016年4月27日水曜日

もっと短く(スマホの話)

何度となく、反省していること。

もっと簡単に、短いテーマで。

色々と話を盛り込んでしまいすぎて、結局更新が面倒くさくなる。千里の道をいくことを、最初から目指していくようなブログなど、そもそも読むのも気が重い。

一言ふた言、ちょっと立ち話程度。

スマホを変えました。そう。こういう程度。

でかいけど、安いスマホ。

スマホはいつから、あんなに大きくすることになったのだろう。指で何かぐるぐる回すようなゲームをしないし、まだ視力は衰えてないから、そんなにいらないのに。

しかし今や、ちっこいスマホは手に入らないのではないか。

コンパクトで高性能で、手にしっかり収まるもの。

携帯電話が普及し始めた時、小さくて指二本ぐらいで通話ができる、というのが売りのものがあったのに。バッテリがこんなに小さくなったというのが、メーカーの自負だったのに。

スモールは今時流行らないのか。 

2016年4月20日水曜日

おバカな読み間違い

モデルさんのブログだろうか。スマホでリンクをたどっていて、よくわからない、女性のブログに迷子になった時のこと。

プロフィールの記載があってびっくり。

趣味=子作り

うわ。趣味の域にまで高めてしまいましたか。

趣味として、色々くんずほぐれつ、お試しになっている女性はなかなかいらっしゃないのではないか。それを堂々とブログで書いてるのも。

すんごいなぁ。

はて。改行前をあわせて読み直す。

趣味=”お菓”子作り。

なぁんだ。月並み。まあ、がっかりするのも、どうか。

与謝野晶子だったか。「お腹を痛めて生んだ子供を」と書いたのに、達筆であったのか、編集者が誤植で印刷した。

「お股を痛めて生んだ子供を」

乱調すぎやろ。

2016年2月24日水曜日

そういえばnetfilxでベター・コール・ソウル2stシーズンはじまってた

前回、『Netflixで、ベター・コール・ソウル(ソウルに電話しよう!)を見始めた』という記事を書いた。

そのセカンドシーズンが始まっている。

前シーズンが、ジミーの歌う鼻歌、スモーク・オン・ザ・ウォーターでカッコよく終わったが、その後からどうなるのか。

燃え尽きたように、プールで浮かび、しょぼい詐欺まがいをして、飲み代を踏み倒すことでぼんやり過ごす。

本編にも登場した、デイ・トレーダーのケンをひっかけて、高級な酒を飲むぐらい。

一瞬、楽しいが、それで埋まらない気持ち。

そして、ブールサイドの細い足のお姉さんが、ブランド物を着ただけのデブなオヤジと連れ立っているのを物欲しそうに眺める。

そうだ。自称ケビン・コスナーこと、我らがジミーは決意する。やっぱり稼いで、旨い汁吸いたいと。

第2話の配信も始まっている。何をしていても、退屈そうなマイクも健在で、トゥコの影もちらつく。

色々トラブルがあるが、それなりに機転を利かして、やりくりしていく。全く爽快感から程遠いドラマである。 エミー賞にノミネートされたが、逃した。華々しく評価されないところが、またいいではないか。

若く、美しいヒロインや、端正な顔立ちの男の子は出てこない。

しかめっ面したおっさんと、苦い顔したちょっと前のヒロインである。

兄とのわだかまりが解決していないときに、マイクから声がかかる。

「倫理感はゆるめか? 頼みたいことがある」

老人ホームの集団訴訟に備えるより、小悪党をなだめて、警官を言いくるめるときのほうが、皮肉も生き生きしている。

G was hire(ソウルグッドマン参上)

多分、キムにも振られるんだろうな。最後は失望されて、別れることになるんだろうな。見ていて、何となく感じてしまう。

そのあと、厄介なクライアントのせいで、ガス・フリングに命を狙われそうになったり、DEAに捕まりそうになったり、逃亡専門業者に、リセットを頼むことになるんだろうな。

ただ、そうはいっても、複合施設のシナモンロール店の店長として、汗水垂らして生活していく未来はあるのだ。ハイゼンベルクと恐れられ、最後は銃弾に倒れるようなことはないのだ。

そこまでの長く、華やかさにかける日常。

やはり愛さずにはいられない。

2016年2月21日日曜日

陰謀ない説

ロズウェル事件で発見されたのは、実はソ連の核実験を監視するための観測用気球であったことが、確認された。

しかし当時、最高機密であったため、軍部は気象観測の気球と発表せざるをえなかったし、現物も隠した。

そのため、宇宙人の乗り物をアメリカ空軍は密かに開発しているという、いまや定番の都市伝説が仕上がってしまったのだ。

現代では資料映像で見る事ができる、ステルス戦闘機も、開発検証段階では極秘である。それを隠すために、逆にUFOブームを借りた節すらある。

陰謀は意外と、存在しない説の方が、実は面白い。

スマホが一般的に広く使われる。

そこで入力した個人情報は、何か悪い人たちが悪い目的にために収集され、悪いことに使われる。

そういうことに怯えて、ガラケーを使っている人もいる。(ガラケーの電磁波が危ない話はこの際不問である)

スマートフォンを使うと、情報が漏洩する。どこかで悪いことに使われる。そんなイメージが先行していた。

ところが実際はちょっと違った。

appleは2014年12月にApple Payでは、顧客の情報を集めないと宣言した。

そして今回、テロリストのi-phoneを押収したFBIが、appleにバックドア(抜け道)アプリを開発しろとオーダーされて、それを拒否しているというのだ。

これにgoogleやtwitterも続くだろうという予測もある。

現実には情報を盗み取る悪徳業者が、そうしたアプリを密かにダウンロードさせて、収集しているだけで、大手が印象を悪くして、翌日の株価に影響するようなリスクは犯さないのだ。

今回、司法への協力といえるかどうかなど、議論の余地は残されている。

しかし少なくともいえることは、そんなにappleが世界制覇の陰謀を持っていないことだ。

市場拡大や、パクリや、apple musicのプロモーションには腐心するが、個人の通話記録や購入履歴をいちいち収集しても、大した儲けにならないと判断しているのかもしれない。

某大学の電車広告を見た事がある。

ドローンがたくさん飛び回り、超監視社会がやってくると予見している、おどろおどろしいものであった。

本当だろうか。

ホームレスのおっさんが凍死したり、生活保護として支給された金が遊興に使用されたり、高校生の教室に冷暖房が完備されて成績が良くなっているのに、実施した市長が福祉を怠るつもりだと難癖つける政党がいたり、と今でも、全然監視できていないのに。

なぜか、ドローンの登場で有権者を監視するのだ。

それによって、歩道の段差が転びにくく改善されるならいいではないか。年配の方も安心して歩ける街並みが増えて、児童・生徒が安心して遊べる場所が増えるなら素晴らしいではないか。

無目的に、とりあえず国民を監視する。地方も政府も、そんなに呑気なのか? そんなにサイコな連中ばかりなのか?

陰謀ない説のほうが、むしろリアリティはないか?

appleですら、FBIの無茶ぶりに憤慨しているし、IT業界もそちらに傾くだろう。結果権力VS個人の自由という図式である。

もちろん、陰謀説はある。

FBIも怒っているらしい。appleがわかっていて、ポーズを取っているのではないかと。

「ユーザーの表現の自由のために、勝手になんでものぞき込めるようなものを作ることは、我々にはできない」

appleの説明の方が、圧倒的にかっこいい。apple musicは買わないだろうが、何かの弾みに他のものを買うかもしれない。よお、ヤンキー。あんた、俺たちの味方なんだって?

そう。ここまでが、陰謀説であった方が面白い。
好きな陰謀説の一つは、アポロ計画捏造説。
NASAがレーザー反射鏡を月面に”本当に”置いたことは、
イギリスやフランスでも確認されてしまった。。。


2016年2月15日月曜日

ピクトのある世界

明治時代の笑い話。

日本人はテーブルマナーを知らず、音を立ててスープをすすった。味噌汁の感覚である。

それを茶化して、イギリス人やフランス人は嘲笑していた。最近まで刃物を持ち歩いていた野蛮人が、ほら、洋服をきて文明人気取りだぜ、と。

トイレにもmanと、womanと書いているのに、読めないと嘲笑の対象となった。留学した日本人も読めないで恥をかく。

ところが、第二次世界大戦後、しばらくして、トイレの表示も、象徴的な変化が起こった。

1964年の東京オリンピックで採用された、男女のトイレの標識は言葉を必要としないピクトであったのだ。

文字が読めるかどうか、ではなく、伝わるかどうか、に問いがシフトさせて見つけた結果である。

現代世界中に見ることができる、男女の違いを表すピクトや、非常口を示すピクトなどは、全て東京オリンピックが起源なのだ。

言語が通じないから、意思が通じないというだけでは、世界は決して広くない。

旧約聖書に登場する、バベルの塔の寓話。

人間は思い上がり、神に近づこうと塔を建てて、神の怒りを買う。そこである日を境に言葉が通じなくなり、塔の建造が続行できなくなったというのが、旧約聖書の考え方である。

人類にこれだけ言語があるのは、いわば原罪であると。アダム以来、お決まりの”神に並ぼうとした罪”である。

しかし東京オリンピックでは、それを工夫して乗り越えてしまった。

神が罰して、言葉が通じなくしてしまったとしても、創意工夫で情報を伝達してしまったのだ。

そして今や、それは世界標準である。もし現地の言語でしか、男女のトイレの違いを表示していないところがあるとしたら、それはむしろ文化的に立ちおくれいることの象徴と受け取られることだろう。

優しくない文化は、遅れた文化なのだ。

ピクトを見かけると時々思うのは、そうした強者と、弱者という、牧歌的な二元論が、実はなんの役にも立たないことである。

分からない人に、より伝える。

心遣いは文化であり、文明なのだ。
トイレでなんでwifiをそんなに使いたいのか。


2016年2月5日金曜日

結局のリフィルバインダー

文具好きの人と、しばしば自薦の手帳について話をする。

万年筆インクに耐えるだけの紙なのが、製本がしっかりしているのか。サイズは適切なものを選べるのか。コストパフォーマンスは妥当か。

一時期流行ったような、モレスキンをいくつか試してみたが、意外に行き詰まってしまった。

紙に随分ブレ幅が大きく、紹介するムック本などを見れば、中身をくりぬいてスマホケースが作れるなど、ふざけたことが掲載されていたりする。

ファッションとしての、文具。まるで、おしゃれなデザインだが、長時間使用に堪えられない、国産ノートパソコンみたいなものだ。つまり、使うこと目的にしていないおもちゃ。

そういう意味で、いくつも考えてしまう。文具店で結構時間を潰してしまう。

A5サイズの折製本ノートと、それを複数冊収めることができるカバーというものを、何回か試す。

使い勝手がいいな、と思い始めると、必ず店頭から消える。

36穴バインダーと同じピッチのパンチ穴があいた、ミニルーズリーフを使ってみる。

あっという間に、店頭から下げられていく。

新製品を色々試して、結局どれも裏切られる。

こんなに回転が早くていいのだろうか。ユーザーが長く安定的に使っていくことができるものとはないのだろうか。

黒澤明の原案ノートを、影印本のように出版しているのを見たことがあるが、コクヨのB5ノートであった。

結局、昔ながらのものが、安定的に供給されていることは事実である。

そうした中で、最終的にたどり着いたのが、6穴リフィルバインダーである。

もっとも安定的に、紙が供給されているし、国産の上質紙はいつでも入手できる。

(特に最近では、http://www.lihit-lab.com/products/catalog/N-1608.html

分厚いシステム手帳を持ち歩いたり、大きなサイズのものをカバンの中に忍ばせるより、6穴バインダーサイズ(バイブルサイズというが、このサイズの聖書は国内であまり見たことがない)ぐらいが丁度いい。

第一次世界大戦で、記録をシェアするために、ページを出し入れできるものとして、これらシステム手帳が発明されたらしい。

それなのに、日本で6穴リフィルバインダーが登場したのは、1984年なのだそうだ。

(それまでは製本された手帳しかなかったにちがいない)

もっと古くから存在すると思っていたが、意外に新しいものだった。

これ以降、システム手帳なるものが、主流になり、多くつくられるようになる。

こうしたものの、代替案を探していたが、結局、これが一番いいのだ。

斬新だったり、目新しさだけのものは、文具においては特に廃れ易い。

スマホ用のポケット付カバーみたいなのをみると、
なんとなくしんどくなる。

2016年2月1日月曜日

Ninja and pencil

 真田幸村が大河ドラマになっているので、思い出した。

 忍者と鉛筆の関係は深い。

 何も忍者が鉛筆を使ったり、発明したのではない。(近年の研究では、江戸時代の日本における自然科学は、忍者の秘伝書にルーツを求めることができるのだとか)。

 桂文珍氏が指摘しているように、江戸時代まで落語といえば、寄席で語られるものであり、テキストにされることはなかった。

 現代のような製紙技術がなかったため、紙が高価(白紙が贈答品になっていたのだ)であったこと。それに加えて、速記するための手段がなかったこと。

 つまり噺家がしゃべることを、筆で書き起こしていたら、墨がなくなり、正確に記録できなかった。噺家自身も提供せず、ライブで話すことを真骨頂としていた。

 そのため、テキストとして残されているものの多くは、ダジャレを含んだ小噺しか残されなかった。幕末・明治の三遊亭円朝が速記法を取り入れ、テキストに起こしたといわれている。

 つまり文字データとしての落語は、近年はじめて確立されたものであるのだ。

 こうして、落語が鉛筆と速記法によって、活字になり、その書籍が売れるようになると、講談もテキスト化される。いや、書き講談という、書き下ろし作品が誕生する。

 こうした中で古典的なヒーローだったのが、真田幸村(信繁)であり、そのスピンオフとして登場したのが猿飛佐助である。

 猿飛佐助は全くのフィクションで、大正時代に大阪立川文庫がつくったキャラクターであったが、たちまちメジャーになる。

「ええい、一体何奴じゃ。名を名乗れ!」

「我こそは真田幸村が第一の郎党、猿飛佐助幸吉なるぞ」

「なに、あの高名なる忍術使いか! 出会え、者共、出会い候え!」

 実在の忍者・服部半蔵が、半蔵門という地名以外には史実に多く登場しないのに対して、佐助というフィクションは、「有名な忍者」という矛盾を蹴散らして、大正の日本でリアルに知られるようになる。

 現代の日本やアメリカで作られた、忍者のイメージは江戸時代初期に書かれた『萬川集海』に描かれた伊賀者でもなければ、説話に見られる果心居士でもない。

 ショー・コスギが演じた黒いコスチュームの、派手な忍者であり、モチーフには猿飛佐助がいた。


 そしてそのルーツには、皮肉にも筆ではなく、鉛筆の輸入によって実現した、速記によるポップカルチャーの台頭があったのだ。

 何の役にも立たないトリビアである。

鉛筆をナイフで削ると、右脳にいいとか、集中力が高まるとか、
不思議なおまじないを、一体誰が言い出したんだろうか。


2016年1月31日日曜日

イノシシは死なない

 『クスコーブドリの伝記』の最初の方で、ちょっとショッキングなこと。

 飢饉を襲ったとき、お父さんが思いつめて、こういう。

「おら、山にいって遊んでくるだ」

 収穫がなく、飢餓が確実に訪れることを想定したときに、残った食料を少しでも維持するにはどうするか。宮沢賢治らしい優しい表現だが、なんのことはない。お父さんは山で首を吊るのだ。

 山からイノシシが降りてくるという話を聞いたことがある。

 海辺の山から、イノシシがそれこそ、猪突猛進してきて、海に飛び込むという。

 山での食料が少なくなる、晩秋の季節に起こるという。

 山に残した共同体を生き残らせるために、若く、体力のある個体が、自ら入水自殺を図るのだと言われていた。

 まるで賢治の描写のようではないか。キリスト教的な自己犠牲が、動物の衝動にもあるのだと。

 そう思っていたが、どうも違った。

 海上自衛隊が撮影した動画を、テレビで取り上げていた。

 海を泳ぐ、不思議な生き物。なんと、イノシシなんです、と。

 イノシシは向かいの島にある、山に登り、どんぐりを食べる。食べた後はどうなるのか。

 一眠りして、翌朝、帰宅するのだ。

 海に飛び込んだイノシシは、勢いよく、向かいの島のどんぐりを目指していたのだ。

 自分という個体が生き残ることで、ひいては共同体も生き残るのだ。

 たくましい。何一つ否定されるべきではない。力の限り生きようとして、何が悪い。

 生物の本質は生きようとするのだ。

 安易な自己犠牲など、単なる自己欺瞞でしかない。

 海を渡って、ヘトヘトになったイノシシが、口いっぱいにどんぐりを頬張ったあとは、どんな夢を見るのだろうか。

 宮沢賢治には描けなかった夢であることには、間違いない。
もっと強いイノシシ探してたのに。。。