2016年5月6日金曜日

聖徳太子とやっつけ仕事

聖徳太子は一度に十人の話を聞き分けることができたという伝承がある。

ドリフのコントで、カトちゃんが聖徳太子に扮して、訴えを聞いていた。

十人同時にしゃべり、振り返ると耳が十組タテについていたというだけ。カトちゃんの顔オチというネタである。幼心にも、やっつけ仕事感を感じていた。

説話としては、たくさんの人間が訴えたことの本質を理解し、ディレクションする能力に長けていたというメタファーであろう。

こどもの日に、作文を書かされたのを思い出した。家族で買い物にいったことを書かされることになった。

スーパーに行って何を感じたのか、どう思ったのか。母が優しい声色で迫ってくるが、それが時間ととにも豹変することは明白で、慌てて書き始めた。

野菜コーナーを見て回るときに、商品やキャンペーンの告知アナウンスがうるさいぐらい、立て続いていたことを思い出す。ふと思いついたことを書いた。

(聖徳太子でも、聞き取れないくらい、いっぱいしゃべってた)

馬鹿馬鹿しい。内心、例えの稚拙さに閉口しながら、字数を稼ぐために書いた。

しかしひどく母親がほめそやすのである。この例えは素晴らしいと。んな、アホなと思った。

そのせいか、今でも聖徳太子が十人の話を聞いたという、説話を聞くと、なんとなく気恥ずかしいような、やりきれなさを感じる。

カトちゃんを小馬鹿にしたくせに、自分もやっつけ仕事をしたような、変な気まずさ。

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