駅前で買い物をして、いつもと違う道を歩いた時、狭い通りの向こうにライトのついた看板が見えた。
「007」
例のテーマ曲が脳裏をよぎる。(ダニエル・グレイブではなく、ショーン・コネリーか、ロジャー・ムーアぐらいのバージョンで)
どんな店なんだろうか。
まさか工作員が密かに集うにしては、大失敗である。いや、ひょっとして新兵器や暗号グッズなどを取り扱っているファンシーショップなのではないか。いや、翻訳ものを中心にスパイ小説やミステリを扱っているブックカフェなのではないか。
ぼんやりそんなことを思っていると、呼び込みの人が近づいてくるので、逃げる。
何でも、お姉さんがお隣でお酒をご用意してくださるお店らしい。ボンドもナメられたもんだ。
どこだったか、アホな校長先生が、保護者のお母さんに対してセクハラまがいのことをして、
「007的な態度が出てしまった」
みたいな頓珍漢を証言していたのを思い出す。
そうである。007は殺しのライセンスとか関係なく、日本ではポコチンのコードネームなのだ。本当にボンドもナメられたものだ。
暗黒街でひとくせ、二癖ある連中に囲まれて、自らのルールに殉じて高潔であろうとする男。チャンドラーが描くハードボイルドの世界である。
それを読んで、イギリス版を書きたくなったイアン・フレミングが一生懸命がんばったが、無理だった。
そこで考えた。
ワイン通で、女性にもてまくり、グーパンチで悪人をあっという間に倒せるヒーロー。ハードボイルドの真逆をいくアイドル。
それがジェームズ・ボンドなのだ。
だから、ボンドは決して殴られても、口の中を切らない。(ジョージ・レーゼンビー以来、新任ボンドの初回作品は必ず「リアルな人間的ボンド」を売りにするが、その実験は必ず失敗して、二作目から元のヒーローものくさくなる)
ハードボイルドはナルシズムの傾向が強いので、好きではない。しかしボンドはもっと苦手。
そしてそれが格好いいと思っている人が、もっともっと苦手。
イタリア人男性のような、軽さと、フランス人男性のようなオシャレを、イメージされがちだが、それは単なる思い込み。
何より、ショックなことは、イギリス人が一番ボンドを嫌っているということ。
イギリス作家の中でも、フォーサイスやヒギンズの主人公たちは、決して人妻さんといちゃいちゃして仕事した気分にはならない。ワインどころか、コーヒーすら飲むのもままならないような、逆境で戦っている。
007の呼び込み店員。仕事とはいえ、そういう仕事もあるのかと思うと、しょんぼりした気分になった。
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