真田幸村が大河ドラマになっているので、思い出した。
忍者と鉛筆の関係は深い。
何も忍者が鉛筆を使ったり、発明したのではない。(近年の研究では、江戸時代の日本における自然科学は、忍者の秘伝書にルーツを求めることができるのだとか)。
桂文珍氏が指摘しているように、江戸時代まで落語といえば、寄席で語られるものであり、テキストにされることはなかった。
現代のような製紙技術がなかったため、紙が高価(白紙が贈答品になっていたのだ)であったこと。それに加えて、速記するための手段がなかったこと。
つまり噺家がしゃべることを、筆で書き起こしていたら、墨がなくなり、正確に記録できなかった。噺家自身も提供せず、ライブで話すことを真骨頂としていた。
そのため、テキストとして残されているものの多くは、ダジャレを含んだ小噺しか残されなかった。幕末・明治の三遊亭円朝が速記法を取り入れ、テキストに起こしたといわれている。
つまり文字データとしての落語は、近年はじめて確立されたものであるのだ。
こうして、落語が鉛筆と速記法によって、活字になり、その書籍が売れるようになると、講談もテキスト化される。いや、書き講談という、書き下ろし作品が誕生する。
こうした中で古典的なヒーローだったのが、真田幸村(信繁)であり、そのスピンオフとして登場したのが猿飛佐助である。
猿飛佐助は全くのフィクションで、大正時代に大阪立川文庫がつくったキャラクターであったが、たちまちメジャーになる。
「ええい、一体何奴じゃ。名を名乗れ!」
「我こそは真田幸村が第一の郎党、猿飛佐助幸吉なるぞ」
「なに、あの高名なる忍術使いか! 出会え、者共、出会い候え!」
実在の忍者・服部半蔵が、半蔵門という地名以外には史実に多く登場しないのに対して、佐助というフィクションは、「有名な忍者」という矛盾を蹴散らして、大正の日本でリアルに知られるようになる。
現代の日本やアメリカで作られた、忍者のイメージは江戸時代初期に書かれた『萬川集海』に描かれた伊賀者でもなければ、説話に見られる果心居士でもない。
ショー・コスギが演じた黒いコスチュームの、派手な忍者であり、モチーフには猿飛佐助がいた。
そしてそのルーツには、皮肉にも筆ではなく、鉛筆の輸入によって実現した、速記によるポップカルチャーの台頭があったのだ。
何の役にも立たないトリビアである。
鉛筆をナイフで削ると、右脳にいいとか、集中力が高まるとか、 不思議なおまじないを、一体誰が言い出したんだろうか。 |
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