俺が法律とか
ハードボイルドの文芸作品のなかで、かっこよくいえば異端児、悪い言えば亜流といわれるのが、ミッキー・スピレインのマイク・ハマー・シリーズといわれる。『裁くのは俺だ』など、タイトルが示すように、マイク・ハマーが苦りきった表情でドンパチやらかすもので、なんちゃってハードボイルドはこれをルーツにしているといえるだろう。
強い男。戦う男。勝つ男。
自らの逆境を呪い、戦いのなかで、敵を羨み、それでも恨み言をいわずに生き残るために、泥の中を這いずりまわる。そんな葛藤など、微塵もない。
こうしたマッチョは、正に筋肉に象徴される強さであり、ビジュアルは強そうだが、実に脆い。自らの弱さを自覚しておきながら、戦わざるを得ない、エド・マクベインの87分署の人々に比べて、人物造詣が浅いだろう。
ハーレーという記号
アメリカン・チョッパーというドキュメンタリー番組がある。ハーレー・ダビッドソンをアレンジすることを生業にしている、親子を取り上げたものである。
バイクには全然知識がない。
試しに見てみる。
クライアントが来て、主役の親子たちと、仲間の前でイメージを語る。こんなイメージで、アレンジしてほしい。色は任せる。こんなデザインがいい。
数日して、仲間が提案してくるデザインに、親子は余りコメントしない。クライアントが来る。プレゼンをすると、なんとなく表情が曇る。
「やっぱりな」
親子の一人が、カメラに後からコメントする。仲間が提案したデザインは、変だと思ったんだ。でも、本人に分からせてやる必要があると思ったんだ。
うん? なんか、面倒くさいぞ。なに、その上から目線。しかも、打ち合わせに一緒におったよな。アドバイスとかなかったんや? 仲間なのに失敗するのを、待ってた?
見れば見るほど、変なのは、親子のほうなのだ。
ノースリーブのシャツで、腕の刺青を見せびらかし、親子兄弟もれなく巨体なのだが、デザインを語ることや微細な駆け引き、やりこめようとする作為などは、ほとんどオネエなのである。
「ここは俺に任せて、先にいけ」
そんなことを口にするものは誰もいない。あのこったら、やっぱりおかしくてよ。だってほら、御覧なさいよ、おかしな髪型だと思わないこと? まあ、恥ずかしいわ。私たち、ワイルドを売りにしてるのを、ご存知ないのかしら。
つまり、取り扱っている記号は、モトクロス用ではなく、ロード用の大型バイクである。ボーン・トゥ・ビー・ワイルド。
だが、やっていることは、見まごうことなく、オネエである。親子の会話すら、駆け引き満載なのだ。「俺の息子なんだろ。だったら、お前の作品はいいに決まってる。ちがうのか?」とは、決していわない。あのこったら、おかしくてよ、の連発なのだ。
そんなもんなのだ。しばしば語られる男性らしさなど、実は記号や観念の弄びにすぎない。
軍団、とか語っている、芸能プロダクションの俳優兼社長がバラエティに出ていた。料理を作り、ゲストにジャッジしてもらうというもの。
社長はマグロ一匹の担ぎ上げ、頭を豪快に落とす。スタジオがどよめく。さすが男らしさを看板にしてきた俳優だと。
ところが、そこからの凋落はみるも無残なものである。
制限時間内に味噌汁以外、まともに完成できたものはなく、もたついたまま時間切れ。派手さが売りなだけで、実務にからきし弱いことを見事に証明させた。
この手の強さは、実に分かりやすい。マイク・ハマーの強さは、分かりやすい記号である。
だが、実に脆い。肉月扁に危うい、と描いている通り、本当に危うい。
弱さを自覚せず、無限大に強いと確信するなど、犯罪者同様の誇大妄想である。弱さを自覚したと称して、それを盾に開き直るなど、単なる無神経に過ぎない。
弱さを自覚し、それを恥じながら戦う。むしろ、自然な道理なのではないだろうか。
広大な砂漠のハイウェイではなく、 舗装された市内の道路を轟音たてて乗り回す。 さながら、「ワイルドだろう?」だ。 |
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