頼まれもしないのに
丸谷才一のエッセイが好きだが、旧仮名遣いにこだわっていることが多く、現代人にはちょっとうっとい。この、読者がうっといと思う感覚は、逆に彼にとって、きっと”うっとい”ものであったに違いない。
旧仮名遣いを読むのは、何か表現・伝達方法としての活版印刷が拙かった当時の遺産か、京極夏彦をリスペクトした、ラノベのい感じ作品に見られるのが、今や一般的ではないか。
古い日本語表記だから、正統という考え方は、やはり膿んでいる。龍之介の『侏儒の言葉』でも、本文中に形容詞として英単語が混じっている。
まさか純文学の新人賞の名前にまでなった作家が、母国語を使いこなせなかったのか。
そうではない。
ニュアンスを伝える日本語が、当時は普及していなかったのではないか。(ニュアンス、といった段階で、すでに現代では日本語として通じているように)
ステレオ、という概念を、翻訳する際に使われていたのは「立体録音」。
表音文字と、表意文字を自在に使いこなす、我々は何だって表現できるのではないか。キャッチやタイトルを見ると、しばしばそんな悩みを催す。
邦題:悪に染まりて
英語といっても、キングス・イングリッシュと米語は違う、とはいわれるが、どうなのか、よく分かっていなかった。しかしローリング・ストーンズの不良な割りに聞き取りやすい英語と、スプリングスティーンの内省的であるくせに、ヒアリングの難しい米語は、確かに同じ言語体型とは思えない。
地下鉄はsubway(米)と、tube(英)というように、単語が違う。
保守系の人々がしばしば英米と一からげにいうが、実は定義が雑。(そんな雑な連中が憂国を語るのだから、英霊たちの墓前で、うんたらかんたら、まあいいや)
イギリスの作家ジャック・ヒギンズの代表作は『The Eagle Has Landed』(邦題:鷲は舞い降りた)。
第二次大戦中、ドイツが落下傘部隊に命じて、休暇中のチャーチルを誘拐するという作戦を立案。その落下傘部隊が上陸に成功したときの、暗号電をタイトルにしている。(全部フィクションだけど)
アメリカの作家トム・クランシーの代表作は『The Hunt For Red October』(邦題:レッド・オクトーバーを追え!)
十月革命にちなんだ、ソ連の原子力潜水艦レッド・オクトーバーが密かにアメリカに亡命しようと企んでおり、ラミウス艦長と軍事アナリストのジャック・ライアンが活躍する。(全部フィクションだけど、発表翌年には実際に作中の偽装工作のような、原潜事故が起こった)
イギリス向けタイトルと、アメリカ向けタイトルは、いかに違うか。邦題にしたときに、並べると、よく分かる。
では、日本向けに翻訳するときに、それらは適切に翻訳されているのだろうか。
『バック・トゥ・ザ・フューチャー』。未来に戻れ。なんか違う。やはりエメット・ブラウン博士がシャウトするのは、このタイトルでないと。
『バーン・ノーティス』(解雇通知)。含みを持たせすぎて、さっぱり伝わってこない。邦題で『元スパイの逆襲』を足して、初めて成り立つ。
『ビッグ・バン・セオリー』タイトルからオタク向け。『ボーンズ』。『パーソン・オブ・インタレスト』本国でもさっぱりのハズ。
困ったのは、『ブレイキング・パッド』。
悪に手を染めてしまったがために、どんどん破滅に向かっていく話。現在進行形でないと、タイトルのニュアンスは出ない。どう訳せばいいのか。悪に染まりて。そんなところだろうか。
日本語の語感として、染まるという動詞が、染み込んでいく様子を連想するし、メスの煙の禍々しさや、ハイゼンベルクの帽子が黒いことにイメージがつながるのではないか。
何より、思ったのは、丸谷才一の主張である。現代語だけでは、伝わらないニュアンスがあると。なんとなくしか分かっていなかったが、邦題を考えていて、共感した。
現在進行形の表現を、古語表現を用いずに表現すると、どうだろうか。
墜ちゆく男。悪に染まりながら。悪になりつつ。なんか、どれもピンとこない。それならやはり、悪に染まりて、が妥当なのではないか。
分かりやすいから、正しいとか、価値があるとか、そういうのとは違う尺度があっても然るべきではないか。誰に頼まれもしないのに、そんなことを色々と考えてしまう。
確か『A Dog's Life』(邦題:犬の生活)の写真のはず。 ちなみにチャールズ・チャーリー・チャップリンの愛称は、 チャールズ(英)、チャーリー(米)、チャップリン(日)と各国で異なる。 |
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