おらぁ学がないから
寅さんの映画のなかで、初期のものであったと思う。寅さんがいう。俺は学がないから、そんな「インテリゲンちゃん」じゃあ、ないんだよと。
インテリゲンチャがいえないところに、ユーモアがある。
石原裕次郎の映画『やくざ先生』(だったと思う)にも、似たような描写がある。隣室の痩身の先輩教諭はチャイコフスキーを聞きながら、コーヒーをブラックで飲んで、研究の疲れを癒しにしているという。
この手のエリート嫌悪はいつから始まったのか。
どうも戦後ではない。大正デモクラシーの頃に端を発するのではないか。
日本人は古来、義理人情を大事にしていてきた。だから、文化・芸術的なことが分からなくても、素朴な現代の生活を大事にしてきた。そういうイメージがなんとなく、これらの映画にはある。
アール・ヌーボーのルーツ
印籠を腰に下げるさいに、帯にストッパーの役割を果たすためのものが根付である。
江戸時代、この根付に細工を施すことが流行し、職人が趣向を凝らしていく。それが現代に残されている。
実際にそれらを見ると、驚くことが多い。太公望を題材にしていたり、俳句や童話を駄洒落にしたものも少なくない。
江戸の職人といえば、腕は確かだが、大して学もなく、ましてや庶民はもっと文化的な素養を持たなかったはずである。
ところが、実際は伝承されてきた文化・芸術を愛していた。明治の四民平等を待たず、生き生きと、古典に親しんでいたのだ。
室町時代末期、京都の町衆は財力をもとに、半ば堺のような自衛都市を築いていた。
彼らの中でトレンドだったのは、俳諧連歌。五七五を詠んだ後に続けて、七七を詠み、また五七五で返す。
参加者全員が歌を詠む、古代から伝わる連歌をリアルにゲームとして楽しんでいた(俳句とは、この「俳諧連歌の発句=出だしの五七五」を省略した呼称)。
どうも、近代によって初めて、庶民が文化に目覚め、それでもお役人のようなインテリとは違ったという設定は、すでに無理がある。
ルイス・フロイスの手記などを見ると、彼らの経済感覚では考えられないぐらいの高額で、堺の商人たちは茶器を売買していた。
屏風に絵や書を書く。扇子に絵をあしらって涼を取る。いずれも生活用品に、デザインとして芸術を施していく。この方法論が、20世紀のアール・ヌーボーのヒントになっていくということを聞いたことがある。
寅さんや、裕次郎が感じていた、文化への劣等感というのは、実は新しい虚妄でしかない。日本人は昔から、などといおうものなら、それこそ浅学を露呈することになる。江戸時代や室町時代の庶民は、結構「インテリゲンちゃん」だったのだ。
学がないから正しいなどというのも、錯覚というより、倒錯というべきだろう。まるで人民解放軍のような、厚かましさを感じる。
万葉集にみるように、古代の日本人は文化的な造詣が深かった。そう思ったほうが、むしろ説明がつく。
だから、戦後知識人が何かというと、語りたがる、「だから日本人は昔からだめだった」説には賛同しかねる。欧米対日本とかいいながら、実際は日米でしか比較していなかったりする早計さ。
今のなんとか右翼より、結構軽薄な、ちゃらいロジックが気に入らない。連中の祖先は薄らバカだったのかもしれないが、少なくとも自分の祖先は、そうではなかったと思っている。
母方の祖父は浪曲が好きだった。父方の祖父は記憶にないが、計算が得意であったと聞く。
どちらも戦前の日本人である。戦争の結果とは別に、バカではなかった。
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