2015年1月14日水曜日

趣味と十字架

本好きで悪かったな

吉川英治の文体と、写実的な文体と、初期のアップテンポなストーリーが大好きである。
 
 高校時代に初めて交際した女性と、図書室で話した。講談社の吉川英治全集が数冊あった程度だが、芥川や森鴎外の全集には見劣りするが、クロス貼りのハードカバーで、二段組み。しかも発表当時の挿絵までついているから、晩年の杉本健吉以前の画家が、彼の作品をどういう描き方をしていたかも楽しめる。
 
 まるでシドニー・パジェットのイラスト付きでホームズを読むような贅沢ではないか。
 
 版元がさすが講談社やね。気張っとるよねぇ。
 
 ということをひとしきり説明した。
 
 すると、こう言われた。

「本しか楽しみがないなんて、可哀想な子供時代やったんやね」

 何ですと? 自転車で三十分かけて図書館いかなくても、図書室に吉川英治全集があるなんて、ラッキーやと思ってるんですけど、あきませんか。。。

デジタルよりも


 ブログを書いたり、SNSに写真をアップしたり、共感することに対して、同年代や年下でも、心ない人がこんなことをいう。
 
「デジタルなツールを使わなくても、充分楽しいから、あんまり興味ない」
 
 はぁあぁ? デジタルなツールを使うのはオタク、みたいな発想自体がMS-DOSしかなかったような80年代の発想ですけど? Macもブラウン管みたいなディスプレイで、ガリガリとハードディスクを動かしてた頃の発想ですけど?
 
 ブログ書いたり、SNSを更新することが、不幸な子供時代で、それしか楽しみがなくて、ライブの人間関係が楽しめなかった人の代用好意みたいな言い方。

 パソコンがなくても生きていける。スマホはいらない。SNSはいらない。そういう選択肢は普通だし、そんなものがなくても快適に生きていけることは間違いない。
 
 だが、それらを持つことが、アナログな世界に対しての逃避かのような言い方をすることに対しては断固ノーである。リツイートをしたり、いいねを押したりすることが、あってもいいと思うし、今やオタクでないとできないことではない。誰でも簡単にできるのだ。
 
 等々。
 
 思わず、デジタル機器を使いこなす=リアルが乏しい人、みたいな言い方をされると、少し過剰に反論してしまう。
 
 それは相手の理解不足を是正したい、ということだと思っていた。
 
 しかし最近、吉川英治全集を古本市で安く買って思いだした。誤解されたことへのリベンジなのかもしれないと。広い意味で八つ当たりなのかもしれない。

 ある意味、内向的な趣味を持ったものの十字架なのかもしれない。

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