2015年1月26日月曜日

スザンナの沐浴

青砥藤綱の道理

 鎌倉時代の武家文化に夢中になったときがある。

 中でも、青砥藤綱のエピソードが好きだ。

 鎌倉幕府をまとめていた北条時頼が、鶴岡八幡宮に参篭したところ、夢告に青砥を重職に起用するよう、告げられた。

 そこで翌朝、彼を呼び、任じる沙汰を行ったところ、彼は即座に辞退した。

「夢で人を採用するなら、夢で斬られることもあるでしょう」

 武家の論理である。後世の後醍醐天皇が木の南を頼れという夢をみて、楠正成を招聘したのとは、対象的である。

 鎌倉時代の説話は、公家文化と違い、こうした論理的なものが多く、後のとんち話にもつながっていくのではないだろうか。

長老をとっちめる

 旧約聖書も実は説話集として読むべきなのではないだろうか。

 スザンナの沐浴は分かりやすい。

 富豪の妻スザンナが沐浴していることを知って、二人の長老が迫る。自分たちと関係を持たないと、お前が若い愛人と不貞を働いていると、言いふらすぞと。

 スザンナ、ピンチ。しかし彼女は毅然と彼らを退ける。報復に長老たちはスザンナの不貞を喧伝する。

 裁判が行われ、預言者ダニエルが長老を一人ずつ尋問する。そこで証言の矛盾を引き出し、彼らの証言こそ偽証であることを暴く。

 まるで大岡裁きみたいな、痛快さである。わが子を思って、手を離した方が、本当の母親である、みたいなノリである。

 スザンナの沐浴という題材は、スケベな老人への不快感や、スザンナの姿勢、ダニエルの機転と、結構面白い要素が含まれる。そのせいか、多くの画家に描かれているらしい。(お気に入りはヴァン・ダイク

 長老だから、偉いという権威ではなく、道理が勝つというところに、やはり一番魅力を感じる。

 スケベな爺さん。彼らに困らされている女性。非を明らかにする男。昼間のテレビを見ていると、これが実は日常的な舞台装置なのかもしれないと、思えてくる。


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