抹香臭くないほうのブディズム
東京国立博物館で「みちのくの仏像」と題した特別展示が開かれる。
それにあわせてNHKで日曜美術館を見たが、めちゃくちゃおもろかった。
平安時代、徳一上人が仏教を東北に広め、その文化が根強く残ったという。
番組では紹介されていなかったが、この徳一という僧侶。同時代の最澄と教義について論争しており、学識が深かったことが伺える。
この程度なら、ちょっと調べると分かること。
実はもっとコアな話。
最澄の天台宗の主張と、密教の教義について、反目するようになったのが空海。彼の真言宗では、最澄が空海と議論を深く続けなかったのは、負けを認めたからだと、 現代でも考えている。そういう主張をする研究者も少なくない。
ところが実情は、ちょっと違った。
最澄は関東で絶大なカリスマであった、徳一に論争を挑まれ、その防戦に奔走していたという。いわば空海にかまっているヒマがなかった、という説が出ている。真言宗では決して語られていないことであるが、空海が本当に最澄を論破したのであれば、後世の天台の発展は、社会的容認を元にしており、矛盾することになる。
では、そのトリガーとなった、徳一とはどういう人物であったのか。残念ながら、資料はほとんど残っていない。
仏像の彫刻作品として、彼の後継者たちが残しているばかりである。めちゃくちゃおもろいはず。
キャラでみる仏教
仏像との接し方に、誰しも戸惑う。しかし本当のルールはシンプル。
寺院の境内にあるときは、手を合わせて会釈し、博物館にあるときは、それを省略する。
前者は崇拝対象であるが、後者は工芸作品として扱われているからだ。
教義というより、それぞれの仏像はいってしまうと、フィギュアである。木でできた仏像が、しゃべりだしたら、気味悪いし、そんなもの拝む気になれない。
それより、どの仏像がどういうキャラなのかを知っておくのが、キーだと思う。
そうした中で、今回の展示では、薬師如来や十一面観音の大きな仏像が取り上げられる。
密教や修験道では、不動明王や降三世明王など、憤怒尊が崇拝されるが、実はこれらはかなり後世のもの。初期においては、人間より超常的なスキルをイメージさせる、十一面観音が崇拝されていた。
また薬師如来について。
日本で公的に仏教を受け入れるか否かが、問題になったとき、廃仏派の物部氏が勝ち、仏教は神々の怒りを買うから、拝むのNGと決定した。
ところが翌年疫病が流行。これは外国の神がたたりを為したのだということになり、大和朝廷としても、公式に仏教を受け入れる。(民間ではすでに広まっていた)。
仏教側もそれを容認し、いきなりお釈迦さんの話をするのではなく、疫病から守る薬師如来を祭る本堂の建立を朝廷にオーダーする。(しかもこのとき、薬師如来を供養するのは男性ではなく、女性出家者を採用した。明らかに巫女の発想といわれている)
その後、整備された密教の経典が渡来してくるまで、薬師如来人気は続くことになる。
つまり古い薬師如来が残っているエリアは、それだけ古代の仏教文化が残っていたということなのだ。
などなど、魅力満載の展示。
関西から見ても垂涎な企画である。
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