2015年1月11日日曜日

他人の読書

あこがれのダークピット

 電車に乗っていると、読書している人が何を読んでいるのか、気になる。

 自分が読みかけを持っていない時などは、それが顕著になる。

 環状線に乗ったときに、向かいで年配の男性がカッスラーのダークピット・シリーズを夢中になって読んでいた。いいなぁ。

 それに触発されて、自分もいちびって、87分署を新書版で買ったこともあった。

 小学生が地下鉄で、坊ちゃんを読んでいた。うわ、俺なんか、君の頃は、俺コロコロコミックで、ドラえもん読んでたハズ。後生おそるべし。

 スマホでおっちゃんがソリティアやリバーシをしていようが、ねぇさんが画面いっぱいのスタンプでラインをしていようが、どうでもいいが、本だけは気になる。

 ワゴン売りしていた筑摩の選書で、キェルケゴールを買って、予想以上に難解であることに驚いた。

 しかし元々一般向け。というか、学生向けのシリーズであったという。ああ、昔の学生さんは頭良かったんやね。いい年こいた、社会人がこんなことで戸惑ってたら、恥ずかしい。昔学生やった人に嗤われるのではないか。

 そう思いながら、電車で読んでいると、下車直前に隣のおっさんが感心していう。

「若いのに、難しいの読むねんな」

 勘弁したれや。

カバーがはずせない本

別の日に、電車に乗った時のこと。

 文庫本を熱心に読むふける、初老の男性。混雑で文面は見えなかったが、非常に熱心に読んでいらっしゃる。

 好みとはいえ、そこまで熱心というのも、よほど面白いのだろう。一心不乱にページをめくっていらっしゃる。うらやましい。かつて幸田露伴は高齢にも構わず、新しい知識に飢えて読みふけっていたという。

 それだけの知識が、個人の死没ととも、地上から無くなるということに、周囲は嘆息した。

 人間の宿命である。

 そんなことをふと考えながら、ふと顔を上げたはずみに、電車が揺れる。彼の肩越しに本文が覗けた。

「いや、はずかしいわ」とか、"乳房"とか、"濡れ"とか。。。

 ううん、おっさん、そんな怖い顔して、公共の場で読むもんかなぁ。なんか、カバー外せへんようなタイトルなんちゃうかなぁ。

我輩は猫である、のイメージかと思ったが、夏目の我輩は本を読む場面がなかったはず。

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