2015年3月31日火曜日

ディズニー商法

ポップの回収率

長編アニメ『白雪姫』のセル画を書く段階で、どうしても健康的な感じにならなかった。
そこで女性スタッフが頬にチークを入れたところ、いきいきとした表情になった。。。という話を聞いた。
さすがディズニーと思ったが、はて。白雪姫って、童話だったんちゃうか?
白雪姫、シンデレラ、いずれもグリム童話だった。
いってしまうと、フリー素材なのだ。
フリー素材を取り込んで、オリジナルのキャラクターをデザインし、作品を作って宣伝する。クリップとして取り出しやすいように、音楽を盛り込む。絵本を作る。
いつしか、ディズニー作品こそが『白雪姫』であると錯覚させるのだ。他社がアニメ作品を作っても、完全にパッチもんに見えるようにする作戦である。

ソフトウェアのモデル

ルーカス・フィルムがディズニーに買収された時、心配する声があった。
「ルーカスのクリエイティブな姿勢が、ディズニーの商業主義に毒されるのではないか」
まさか。
ルーカスこそディズニーの信奉者であったではないか。彼自身が脚本を担当した一作目より、監督に徹した『帝国の逆襲』のほうが人気であったではないか。自分で作らず、基本コンセプトだけ作って、後は外注なのだ。
キャラクターを作り、派手なプロモーションを繰り返す。
さすがにフリー素材を取り込むような真似はしないが、ジョセフ・キャンベルの神話学から、古典的なモチーフを充分にリサーチしていたではないか。
実は全然商業主義であって、作品と称したパッケージの売り方を、ディズニーのメソッドに沿って丁寧に再現したのが、ルーカス・フィルムなのだ。
ディズニーが好きとか、嫌いとかいうのとは別に、商業主義を否定することが正しいと思うことが嫌いである。
ミッキーだって、戦中には眼鏡をかけた出っ歯のちびたち(当時、アメリカに敵対していた黄色人種の兵士をモチーフにしたもの)を次々やっつけている。必要とあらば、簡単にプロパガンダに引火する。いや、プロパガンダそのものになる。
たまたま、夢や冒険にあふれたものが、興行的に成功することもあるだけで、それが本質だとか、本質ではないとか、タブーを設けること自体が、滑稽ではないか。
そう割り切って、楽しむのが、適切な距離なのではないだろうか。とか、いうときっと色々嫌われるから、あまり言わないようにしよう。。。

シンデレラもこんなビジュアル。ディズニーがいかにカラフルでポップなデザインか。

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