2015年3月17日火曜日

天使の憂い

サイゼリアで気付いたこと

 サイゼリアで店内に飾られたいくつかを見ていて、ふと気になった。


 全然知らないわけではない。何度も見ている絵であるが、タイトルすら知らなかった。見ていて、物凄く気になった。

 クピドとプシュケ。ウィリアム・アドルフ・ブグローの作品である。


 森永製菓のエンゼルパイのモデルになったのが、確かこの絵画だったのではないだろうか。
 それぐらい、天使=神の使い=ラブの象徴=ラブ&ピースという連想をさせるものとして、日本では定着している。

 天使といえば、フルチンの男の子で、女の子にキスしないといけないのだ。毘沙門天みたいに、甲冑を着て悪魔を踏んづけるミカエルみたいなのは、ウケない。

 何が気になったのか。

 ふと、女の子として描かれるプシュケの表情である。ギリシャ神話のストーリーも、詳しく知らなかったが、プシュケの表情が、どこか憂いを帯びているように見えたのだ。

 この絵を、子供のじゃれあっている姿として、微笑ましく鑑賞してきたつもりだが、よくよく見ると、プシュケの顔半分はひどく暗い。

 クピドの向こうを向いた表情は分からないが、強く愛情表現をして抱きすくめようとしている。

 それに対してプシュケの骨盤は傾き、肩も左を前に押し出している。この体勢でクピドの抱擁が解ければ、腰から下に落ちるだろう。

 決してクピドの腕や胸に、すがりついたりはしない。

 つまりプシュケの姿勢が表現しているものは、拒否である。そしてその表情はひどく、憂いを帯びたものである。

 男性の熱烈な愛情表現に対して、いささかそれを持て余した女性の本心。

 あとでストーリーを知ったが、シンデレラみたいにキスで目覚める、大事なシーンであるにも関わらず、何やら意味深な表情なのだ。

 そう思うと、最後の晩餐に、マグダラのマリアが描かれていようがいまいが、ダ・ヴィンチがMの文字を隠したかどうかは、ちょっとこじつけすぎてつまらないよう気がしてくる。

 男がいくら思っても、美しい女性はそれに感激していると思ったら大間違いである。むしろ相手を傷つけないように、見えないところで倦んだ表情を見せている。それをブグローは捕らえようとしたのではないか。

 そう解釈したほうが、この絵は俄然面白い。

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