かゆくならなければならない
スマートフォンまで、とても使えない。年配の人がそうぼやくのをよく耳にしていた。言葉の真意は、分かる。
携帯電話(ハイビジョンまで見られるのに、フィーチャーフォンとか、ガラパゴス携帯電話などと、あっさり悪く言われるようになったモノ)を、やっと入手して、目を細めてボタン操作できるようになったと思ったのに、ボタンもないようなものを、また一から習得しないといけないのか、という嘆息。
そのスマートフォンが安くなるとか、安くなったとか、osが新しくなって、沢山の機能がついたとか。
実は情報過多なのではないか。
windows95の日本語版が発売されたとか、macのosxやi-phoneの新バージョンがアップルストアで買えるとか。そんな当時の感覚で、ニュースを提供しようとしているが、実際はそこまで新しいものに、消費者が飢えているわけではないだろう。
ユーザーも純粋に利便性や、経済性を考えているわけではない。
本当にそれを考えているなら、Firefoxosが個人レベルで開発できて、軽くて安いという魅力はもっと知られるべきだし、chromeosの価値を、単価や起動スピードで判断されるべきではない。
メーカーの意向と、用途の妥協点を見出していくのが、実際なのではないか。完璧に便利なIT機器など、存在しないのだ。
簡単に作れるブログ
googleが提供する無料のブログサービスが、このblogger。「gmailのアカウントを持っていれば、色々できる」のうちの、代表的な一つである。
ベータ版から使っていて、どんどん高性能になっているが、一番気に入っているのはメール投稿機能である。
通勤電車など、移動中にふと思いついたことを、メールでこのブログの下書きスペースに投稿する。
入力ページにそのまま反映されて、テキストを書き始めることができる。
メモを紛失することもなければ、帳面を持ち歩く必要もない。外から思いついて、自宅の机にメモを貼っておくようなものである。
簡単に操作できるから、あとはひらめくのを待つだけだし、ひらめいたことを、メモ帳を探している間に失念してしまうような、恐れはない。ビル・ゲイツのいう、”思考スピード”に追いつけるのだ。
ところが実際は、あんまり使い切れていない。
たまに思いついて、下書きメモを送信するが、ほとんどは思いついたことをデスクトップに書き出してから、まとめたりする。
便利であり、使い方も熟知している。しかし実際には過剰なサービス。
ふと手元を見ると、本当にこれが欲しかったのか、不安になるようなものだ。(バートン版の『アラビアン・ナイト』をそろえ終わってしまった時の喪失感という、パラドックス)
本当に便利なものはなんだったのか。
古い世代のいうような、洗濯機やカラーテレビのように、日常を一変させてくれるようなものは、少なくとももはやITに期待してはいけないのではないか。
かゆいところに、手が届くような、細やかなサービスや機能が、もはや実現しているのなら、実はもうかゆいところなどないのだ。
一番いい色のビーズを素早く見つけるなど、 そもそもできない話なのだ。 |
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