同時代
ビートルズが流行した後、日本でもグループサウンズが流行した(らしい)。
16世紀スペインのフェリペ二世が、地球を分割統治しようと計画して、大航海時代を迎えるが、その後を追うように豊臣秀吉は朝鮮出兵を行っている。
アラビアン・ナイトやイソップ物語の中にあるお話が、インドではブッダの前世譚(ジャータカ)に含まれていたりする。
十字軍遠征の頃、ヨーロッパでまことしやかに信じられたのは、インドにいるプレスター・ジョンの伝承である。インドにあるだろうキリスト教国の王、プレスター・ジョンがイスラム教徒を挟み撃ちにしてくれると。
しかし実際は仏教を守ったアショーカ王が誤って伝えられていたことが判明し、バチカンは聖人の列からプレスター・ジョンを外す。
世界は古代からつながっていたのだ。
インターネットほどのスピードはないが、すでにリンクしていたと考える方が自然なのではないか。
お釈迦さんのモデル
ガンダーラ美術の仏像の中で、面白い御釈迦さんの像があった。明らかに右ひざが膨らんでおり、歩き出そうとしていたのだ。
その説明として面白かったのは、プラトンの絵画表現が同じように膝を持ち上げているというのだ。
そんなばかな。プラトンよりソクラテスのほうが、お釈迦さんに近い年齢であったのではないだろうかと。
しかし仏像が作られたこと自体、アレクサンダー大王の東方遠征で、ヘレニズム文化がインドに流入したことが起源である。
仏教の守護神執金剛神が、棍棒を持っているのはヘラクレスを原型にしているためというのは、自然なのだ。
お釈迦さんだけ、哲学者としての表現にプラトンと似ていておかしいわけがない。いや、もっというなら、袈裟の衣装も彼らの衣装に近い表現が原型だったのではないか。
インドでは後に、骨格標本のように苦行するお釈迦さん像が多く制作されるが、それと反対に、各地に普及したのは、ゆったりとした衣装のお釈迦さん像だったのではないか。
「お釈迦さんのビジュアル表現のアイデアは、プラトンを原型にしてるんやで」。
そういう説もある。なかなか信じてもらえないけど。
真ん中の赤い服がプラトン |
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