ダブルアクション
チャールズ・ブロンソンが西部劇の中で、拳銃を撃つ際、撃鉄を親指で起こさず、続けて撃った。実際にはダブルアクション(引き金を引くだけで、撃鉄が自動的に持ち上がる・落ちるという、二つ)は、ずっと後に開発される。
そのため、ブロンソン以前の西部劇では、保安官やギャングたちは連射する際には、ちゃんと左手で撃鉄を起こしている。
だから、実際にはブロンソンだけが、リアリティのないアクションを見せているのだ。
現代制作された西部劇で、左手で撃鉄を起こしていると、演出に感激してしまう。監督のこだわりが胸を打つ。反面、チョー・ユンファみたいに、親指で撃鉄を起こさないで、連射していると、馬鹿にされた気分になる。
殺陣
刀の曲線はうまくできていて、対象物に対してちゃんと刃筋を立てれば、意外と簡単に切れる。もちろん、訓練をすれば、沢山素早く切ることができる。
訓練がなくても、刀身の重さを使えば、切れる。
もっとも切りやすいのは、切っ先三寸。先端から9センチ。遠心力を使って、刀身をぶれないように当てれば切れる。
だから、時代劇やハリウッド映画の中を見ていても、少し戸惑うことが多い。
切っ先が真上に立っていたり、めちゃくちゃ近い間合いで、切っ先三寸を使わず、刀身の真ん中をチャリンチャリン叩き合わせるのを見たり。
切り合いをしているのではなく、切り合いの予定調和を演じていることに、ストレスを感じてしまう。
皮肉なもので、ウェスタンにしても、時代劇にしても、マーシャルアーツにしても、面白くてみて、詳しくなってしまう。しかし詳しくなって、返ってつまらなくなったり、粗を見いだして、ストレスを感じたりしている。
一体、この矛盾はなんなのだろうか。本心はつまらなくなりたくないのに、自分だけが色あせたものを見せられたような気分。道楽に、悩んでしまう。
マカロニ・ウェスタン時代のイーストウッドはもはやフリー素材なんや。。。 彼の出世作『荒野の用心棒』は、黒沢明のリメイクでうんたらかんたら。 |
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