たとえばピストルズ
ブルー・ハーツに十代後半は夢中になった。パンク・ロックという響きが大好きだった。
そこでセックス・ピストルズを聞いた。(なぜか最初に聞いたのはファンが語りたがる、Holiday in the sunではなく、Johnny B. Goode/Roadrunnerというふざけた曲だった)。
ブルー・ハーツとは曲調は似ていたが、メッセージが薄かった。というか、ほとんど皆無だった。わざと挑発的な歌詞でメディア規制にひっかかり、話題性があったのだろう(このテの商法は今では禁じ手でも何でもないが、ピストルズが嚆矢といわれている)。
しかしブルー・ハーツがパンクっぽい、フォーク・ロックだとするなら、ピストルズはダメ人間の悪ふざけだった。そこがむちゃくちゃ良かった。
ルーツを辿ってみると、俄然、ブルー・ハーツよりピストルズに夢中になった。年代的にめちゃくちゃ古かったが、もうブルー・ハーツには戻れなかった。どうしてピストルズを同年代が聞かないで、小室哲哉を聞いているのか、不思議でならなかった。
実篤の行き止まり
黒澤明の『椿三十郎』が面白かったので、原作を読んだ。原作は大したことがなかったが、原作者の山本周五郎のほかの作品をむさぼり読んだ。
彼の日記の一節が印象に残った。
「男子一生の為事がやすやすとできると思ったか。馬鹿者め」
彼の日記に書かれたその一節は、武者小路実篤の言葉だった。三田文学がねむたぁいと感じていたのに対して、実篤ら白樺派はのびのびしていて、特に実篤はダイレクトに響いてきた。
周五郎より、実篤にシフトして、夢中になった。
そして実篤が若い頃、夢中になっていたのが、トルストイであった。彼は書店にいって、めぼしい本を手に取る。どのページでも「トルストイ」という文字が入っていたら、その本をお買い上げ。日本のトルストイストの開祖と称されるぐらい、トルストイを崇拝していた。
(こうした大らかさは、”しらかば”を並び替えて”ばからし”とも揶揄された)
さて、トルストイ。
ハードル高いなぁ。。。
何度も周り道して、結局読めたのは『光あるうちに光の中を進め』。シンプルな対話形式で、面白かったが、なかなか他は読み進んでいない。
こうしたルーツを辿ることが面白いのだが、深入りして、ふと思う。有川浩とか、百田尚樹は沢山いるのに、どうして、トルストイを周りで読んでいないのだと。
やっぱりハードル高いか。。。。
gコードちゃうかと思ったら、そうやった。 今は検索したら、全部わかるんやった。。。 |
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