神様が化けるなら
七福神のメンバーの中で、大黒天はもともとのビジュアルをみると、がっかりする。
マハーカーラ(大いなる暗黒、時間)という、もともとはヒンドゥ教の神様で、恵比寿と並んでニッコリではなく、不動明王さながらの憤怒尊なのだ。(滋賀県のお寺に憤怒形の大黒天が開扉されていたニュースをみたが、その通り)。
仏教の中で、「天」と称される本尊は、大体こうしたヒンドゥの神々が、お釈迦さんに帰依して仏教を守る神に変化する。代表的なのは、毘沙門天で、北インドにいて、隊商の神様であったが、お釈迦さんに四天王の代表としてお布施をした姿が描かれる。
つまり外国の神様が、インドで最も熱いブッダとコラボするのだ。
これがアジア各地で加速して、現在の仏教文化がある。
マハーカーラは時間をつかさどり、世界の破滅も意味する恐ろしい神さまである。チベット仏教で描かれるときは、大きな袋を持っていない。
ところが中国にわたったときに、現世の福徳を象徴する意味で、袋が追加される。宝を施してくれる、仏教の神様。そういうビジュアルで、死をもたらすおどろおどろしさがなくなる。
大国主命
仏教は世界的にホットなトレンドになる。
中国人は悔しがる。インド人オリジナルの仏教に、当時の道教は祭祀中心であった。しかし老子の言葉に、空が似ている。(というか、実際は似せて翻訳した節もいなめない)
そこで話がすり替わる。
「あ、ブッダ? ああ、あれは老子が最後、西に行ってからタオを教えるために、インド人へ教えてあげたのが、間違って別人として伝えられたんだよ」
これは何も中国人だけではない。当のインド人も、ヒンドゥ教が人気になってくると、
「あ、ブッダ? あれはヴィシュヌ神が堕落したバラモンたちを戒めるために、人間の姿で教えを説くために現れたんだよ」
これに日本人も負けてはいない。
「あ、ブッダ? あれはタケミカヅチノミコトの本当の姿なんだよ」
これが本地垂迹説である。日本の神様って、ホントは仏さんが姿を変えただけなんだ。だから、日本って、仏教の聖地なんだ。アジアでも有名なところは、違うっしょ。(ところが鎌倉時代には、この逆の説が唱えられ、仏菩薩は神々が姿を変えたものという教説が一部に成立する)
この本地垂迹という設定で、大黒天も代わる。あ、だいこく? 大国? 袋も持ってるし?
因幡の白兎を助ける、心優しい大国主命は、恐ろしい憤怒尊が姿を変えたものという設定になってしまったのだ。
袋を持った男といえば
ひょっとしたらといつも思うのは、クリスマスが明治以前に日本に来ていたら、どんなことになっていただろうかということだ。
禁制になっていなければ、ひょっとすると、大黒天が姿を変えた神様として設定されたのではないか。
太陽神ミトラの再生を祝う日(冬至)が、イエスの誕生日になったという、ごちゃごちゃ文化がルーツなのだ。大黒天が衆生救済に汗を流して赤くなったのが、赤大黒になったという教説も成り立ったのではないだろうか。
いや、そんな儀軌が実は存在するのではないか。
ミトラ神はインドに伝わり、マイトレーヤ(弥勒菩薩)になったのだ。ならば、その設定も頂いたのではないか。
赤大黒供養品。弥勒菩薩が人々を救うために、大黒天に命じ、真言を授ける。おん・ほうほう・そわか。この真言を唱える者は大黒が赤くなって走り来たり、福徳を授ける。。。。
念のため、大正大蔵経を検索しておくべきか。。。(こんなこと、お山の連中にしか通じまい。。。)
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