お代わりして、二度おいしい
本当に気に入った本なら、再読する。
二十代の時に読んだ、山岡荘八の『伊達政宗』。めちゃくちゃ面白かったが、二十代の自分にはまだ充分、理解できないところだろう。もっと咀嚼したい。三十代になったら、もっと深く楽しめるのではないか。
期待して、三十代になって、再読した。
まあ、つまらない。ウザい屁理屈に、しょぼい展開。はっきり言って読んでいられない。
同様に、十代に夢中になった、ある幕末ものを、三十代で読み直して思った。
「なめてんのか、司馬遼太郎。坂本竜馬なんか大嫌いじゃ、ボケ」
大仏次郎の『天皇の世紀』に比べて、ものすごく薄口なのに、ジャーナリズムの視点とか評価したの、誰やねん。
白野弁十郎
もともと映画化されたことから知っていた、ロスタンの『シラノ・ド・ベルジュラック』。二十代で初見と映画鑑賞。三十代で再読。最近、つまみ読み。
戯曲はほとんど読まないが、この一冊だけは別格。
日本人に大正時代から親しまれ、『白野弁十郎』というタイトルで、リメイクされている。(『海底二万マイル』が『海底軍艦』にアレンジされているのとは違い、キャラクターの特性を捕らえた弁十郎というネーミングといい、原作にかなり近いものであったという)
忠実に映画化したフランスの作品であったり、消防士に設定をかえたハリウッド版とか、色々あるが、原作は原作でちゃんと楽しめる。確か日本でも独り芝居で取り上げている、役者さんがいたとおもう。
演劇にはあんまり興味はないが、やっぱり面白い。
詩人にして剣客、学者(実際に天文学の論文が残っている)。だが、人より大きな鼻を持つために、ヒロインのロクサーヌに思いを告げられない。
彼女が愛するクリスチャンとの仲を取り持つために、奮闘するというストーリー。
ロミオとジュリエットをパロディーにしたであろう、ベランダの場面のコミカルさもいいが、やはクリスチャンの残した手紙を、シラノが夕闇の中で、ロクサーヌのために朗読するクライマックスがいい。(手紙を初見のはずなのに、手元が暗いのに、なぜか読めてしまうというオチ)
現代の日常では、メールだ、掲示板だ、SNSだと、便利なようで、肝心なことは結構、ほったらかしにされているのではないか。
対照的に、本作は深い。戦地からの手紙という、盛り上がる設定。紙媒体というアナログな代物が持つ重さ。
多分、十年後も、読みたくなっているだろうと、今頃になって、うすうす感じている。
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