マイノリティの自覚
いつからか? この際、正直にカミングアウトしよう。たのきんトリオがウザかった。
今でも苦手である。類似した女性ボーカルの違いを聞き分けることは困難を極める。
アイドルと称する人たちが、しばらくするとバラードと称したものを歌い始めるが、それがおっさんたちの書いたムード歌謡と、どう違うのか、その差分は聞き分けられていない。
萌え要素なるものがあったとしても、それは表現の自由だ。だが、80年代から一つ覚えだとするなら、それは感心できたのものではない。
換金せよと迫られることに、正直辟易だ。
だが、コンビニでも、スーパーでも、どこへ行っても聞かされることになる。
たまたまスピーカーの前に立たされて、それらが流れてくると、何か罰せられているような気分になる。
肥溜めに浸されたスタローンの気分だ。
惨めなヒーロー
『ランボー2 怒りの脱出』(一作目が反戦映画だったのに、二作、三作目はマッチョバカなB級映画。四作目でやっとドラマ性が出てきた)のなかで、スタローン演じる特殊工作員のランボーが、ベトナムに潜入する。ちゃっちい作戦のせいで、あっさり捕虜になる。
そこで縛り上げられ、肥溜めに肩までひたひたにされるという描写がある。
アイドルの曲が流れるスピーカーの下にいると、なぜかそれを思い出す。しかしそこから連想はひどくなる。
自分が肥溜めに浸されているのだ。やがてベトナムの将校は、やたら柄の長い柄杓を伸ばしてくる。
そして自分の顔の前で、ひとすくい。ちゃんと少なめにすくってくれたらいいのに、並々とすくうから、ぼたぼたと垂れて、そのしずくが顔にかかる。
うわ、くっさ。思わず、あげそうになる。将校は何やらいいながら、柄杓を頭上にまで持ちあげると、そこであろうことか、中身をかけてくるのだ。たらり。うわ、つべた。くっさ。
我慢しきれず、嘔吐する。臭い。苦しい。溶けきっていない固形物が、額から落ちて、鼻先に当たって、しぶきを上げる。惨めさが極まって、泣きそうになる。
泣くと、涙腺が緩むから、そこから雑菌が入ってしまうのだと、どこかで思い、ぐっとこらえる。
しかし柄杓の中身が全部頭に垂れて、ご丁寧に角っこで、こんこんと頭頂部をたたかれる。加藤茶でも、もうちょっとマシな扱いうけたぞ。
将校はもうひとすくいして、たらり。
もうだめだ。我慢しろ。もうだめだ。どうして、こんな目にあわないといけないのだ。一体、自分が何をしたっていうんだ。悔しくて、思わず涙が溢れ出してしまう。
そこで目を開く。コンビニのレジの前で並んでいる。良かった。無事だったのだ。あの臭さと、苦しさと、惨めさは、単なる連想だったのだ。ああ、よかった。
あの苦痛に比べれば、あの鼻声と喘ぎ声を混ぜた電子音なんて、まだましだ。その手前にあるものだとしても、まだ耐えられる。
少しだけ、強くなった気分だった。
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