2015年2月18日水曜日

民俗学的死者の国

出雲

 出雲大社は大国主命(おおくにぬしのみこと)を祭る。

 彼は天津神に国を譲り、現世(うつしよ)のことは彼らに。自身は死後の世界「幽世(かくりよ)」を司ることになる。

 このために出雲大社は死後の世界を司る社となる。

 イザナギが死んだ妻イザナミを黄泉の国から、連れ戻すことに失敗し、別れる場所となった黄泉比良坂(よもつひらさか)も出雲にある。

 出雲 is dead.なのだ。

 ところが中世には新規参入が現れる。和歌山県の熊野である。クマさんが沢山いたのではない。木々が「こんもり」していたこと=死者の霊は山に登って雲になると考えられていた=死者が「こもる」=霊験あらたかなパワースポット。

 と連想が広がり、一代ブームになる。

 熊野 is dead.

 ところがところが。

 今度は中世から、近世江戸時代。

 四国が新規参入である。本州の向こう岸=彼岸(仏教では悟りに至ることを、川をわたった先の向こう岸と表現していたが、檀家制度の中で悟り=死後の世界という飛躍が定着した)=死後の世界=うわお、しかも死国って書いて同じ読み方。。。

 お遍路が整備されていくことも、リンクして、四国は死後の世界というイメージが膨らんでいく。

死の商品化

 下世話な話。

 出雲大社は京都の大極殿や、奈良の東大寺よりも高く作られていたという。それを建築するだけの遺跡が発見もされている。当然、経済的効果も大きかっただろう。

 また熊野に至っては、民間の信仰が流行して、後白河法皇まで何度も参拝しており、一大アトラクションになっていただろう。

 四国では現代まで八十八カ所が伝えられているが、民間の代参も多く経済効果は高かった。

 つまり死=現世ではないパワー=商品価値として、経済をまわす原動力が少なからずあったようだ。

 民俗学からすると、ちょっと興ざめな展開だが、実態は純粋な信仰だけではなく、お得感も相乗効果であったに違いない。

 いわばそれも、文化の一つというべきである。

 現代人は核家族化が進み、近親者の死を目の当たりにしない。家畜をさばくことがないから、死についてリアリティがない。

 そんなことを社会学者が、簡単に語る。

 しかし本当にそうだろうか。

 死を強烈に意識することで、生を強烈に意識する、というのは哲学的な格言『メメント・モリ』(汝、死を思え)に端を発するのだろう。

 だからといって、死を意識しても、決して生を豊かにするものとは限らない。哲学的思索を経て始めて成り立つものではないか。

 死の験力への期待は簡単に、商品化されてしまう。

 健康食品を広告をみていて、ふと思ってしまう。長生きして、健康であろうとしているが、反面、生を手軽なものにしていないかと。

 出雲大社から四国にいたるまで、潜在していた死のパッケージがポップなデザインに変わって、お買い求め安くなったのではないか。

 そういうのを作っている人たちに、怒られそうかも。

大国主命の「おおくに」と同じ字を書くから、仏教の大黒天と同体ということになる。
でもインドで大黒天は非アーリア系のおとろしい神様だったので、チベット仏教でも憤怒尊のビジュアル。

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