いくら?
海外旅行が好きな先輩が、夜のニューヨークで飲んだ。現地で仲良くなったアメリカ人たちが、指差している。その先には見るからにフランス人と見える女性たち。
彼女たちに、声をかけてみようということになった。先輩は彼らを制していった。フランス人から聞いている、誘い文句がある。
おお。彼らが見守るなか、先輩はフランス人女性たちに話しかける。
聞覚えたフランス語で話しかける。
にこやかに微笑んで彼女たちが顔を上げて、尋ね返す。もう一度、いう。
あれ? 楽しそうにしていた彼女たちの表情が見る間に曇り、明らかに軽蔑した表情で、突然東洋人だけが見えなくなったような素振りをみせた。
軽く声かけたつもりが、聞きかじりのフランス語は相当女性を侮辱したフレーズであったらしい。
アメリカ人たちが背後で笑っている。担がれたことに気付いた。彼らは意味を知っているようだった。
テーブルに戻って、笑いながら乾杯をしながら、尋ねられた。
「日本語で、可愛いとか、きれいだねって、なんというんだ?」
先輩は自信満面の表情でいった。
「簡単だ。”ikura?"って言え。可愛いねという意味だ」
ほんとか? そういって盛り上がっていると、向こうのテーブルにアジア系の女性たちが。。。
Or Nara
高校時代、ネイティブな英語を学ぶ機会を設けるという方針で、アメリカやオーストラリアから、半年ほど先生が来た。月曜日、女性の先生が週末何をしたかをゆっくり話してくれた。
「日本の中でも有名なところ、京都または奈良に行きたかった」
そう話しているだけなのに、クラスからくすくすと笑い声が漏れる。彼女はどこがウケたのか分からず、後で同席した英語の先生が説明してくれた。
「Or Naraという部分は、おならと聞こえたんです」
英語の中に、突然明瞭な日本語が現れて、しかもそれが十代を笑わせるような単語だったのだ。
旧約聖書の中で、バベルの塔が語られる。人間は思い上がって、自分たちで塔を作り、神に迫ろうとした。
それを知った神は、塔を壊し、人間の言葉をバラバラにして意思疎通ができなくなった。かくして仕事ができなくなった人間は、世界各地に散らばったという。
ううん。英語が流通して、意思疎通ができるようになった世界に生きているが、バベルの塔を作るというプロジェクトはあんまり協賛を得られないだろう。
それより言葉が異なるが故に、文化が異なるがゆえに、面白いことの方が多いではないか。
御業が称えられるべきだとするなら、まさに言葉が多様化し、差異が生まれたことではないか。
そしてそれこそ、希望に満ちたことなのではないか。
ブリューゲルの『バベルの塔』 そんなに暗い話ではなかったのではないか |
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