情報価値はスポンサーの意向だった
まだSEOという概念自体珍しく、パンダとかペンギンとかいう単語は、動物以外の意味を持たなかった時代。。。
上司にあるテーマについて、記事に落とし込むため、情報収集を命じられて、gではなく、日本で一般的なyで始まる方のサーチエンジンを使って、調べものをしていた。
ところがお昼の時間が迫ってきても、キーワードに関するページが際限なく見つかるだけで、個人の日記から、社説めいたものまで、延々と読み続ける羽目になった。とりあえず出力してみようものなら、みるみる紙がなくなっていった。
インターネットには大した情報は載っていない。載っていたとしても、巨大掲示板にはネガティブな情報が多いだけ。当時、ささやかれた言葉に共感した。
ところが大きく形勢を変えたのは、gで始まる方のサーチエンジンである。(念のため、リンク。w)
広告の表示が少なく、何よりも検索結果の信憑性が全く異なっていた。膨大な量のサイトをブラウザごとに開いて(当時はfirefoxがなかったから、タブ表示機能のあるブラウザはなかった)、その上でCtrl+Fでキーワードを検索するという、二度手間も必要なかった。
めちゃくちゃ便利になった。情報の質やボリュームは、確かにまだまだ問題があったが、それでも底が知れるだけの能力を実現してくれた。
あとで知ったこと。
yのサーチエンジンは広告主からの、広告料によって無料で使用することができる。つまり検索していたのは、キーワードであるが、ユーザーがより早く知りたい順ではなく、広告主が高く支払った順に表示していたのである。
ところがgのサーチエンジンは違った。
順位をいくつかの組み合わせで考えた(というか、他社からのアイデアをあとから買った。サーチエンジンとして公表された当時は、実は収入方法を模索しているところだった)。
ユーザーの検索が多いキーワード。更新が新しく、新鮮な情報を提供しているサイトなどである。そして広告主は広告枠という、控えめなデザインで検索結果とは別に表示されるようになった。ユーザーは知りたい情報と、広告との区別が明確に認識できるのだ。
スポンサーの意向は反映する。しかしそれが全てではない。もしスポンサーだけが常に優位に立てるような、二十世紀初頭のような資本主義の考え方なら、ウェブなど、未だにマニア向けの、難解なものであっただろう。gはgreatのgなのだ。
正しいブログの書き方だと
サイトの更新頻度を高めるために、一定のフォーマットがあり、それを使って情報を追加していける方法。それがブログである。
効率よく、アクセスを稼ぐために、何をすべきかを取り上げていたものがあった。
流行のキーワードを本文中で取り上げる。
なるほど。新しく、しかも検索結果として注目されるから、相乗効果でさらに検索は上位に上がってくる。
だが、どうだろう。実際にnexus7について調べていた当時、痛感したのは、情報がぼんやりしてしまっていたことである。
ユーザーとして、一番知りたい情報はnexus7の使用感や、利便性、価格である。
ところが検索して出てくるのは「nexus7が発売されますよね。楽しみです」という、フレーズ以外に大して触れていないブログ記事であった。
おいおい。まるでyで検索していた当時と、情報の鈍さは同じではないか。
効率的なブログ。しかしそこにユーザーを食い物にするだけの論理しか成り立っていないのなら、またぞろ、yがもたらした情報冬の時代到来なのではないだろうか。
まさかgoogletrendでキーワードを拾い、それについて底の浅いコメントを繰り返すと、アクセスが稼げるというのか。しかしそれによって何が実現するというのか。アクセス件数という、実態のない数値と、自己満足と、ユーザーの舌打ちなのではないか。
浅ましく流行のキーワードをむさぼろうとしているブログやサイトをみると、いつも思ってしまう。
上司にあるテーマについて、記事に落とし込むため、情報収集を命じられて、gではなく、日本で一般的なyで始まる方のサーチエンジンを使って、調べものをしていた。
ところがお昼の時間が迫ってきても、キーワードに関するページが際限なく見つかるだけで、個人の日記から、社説めいたものまで、延々と読み続ける羽目になった。とりあえず出力してみようものなら、みるみる紙がなくなっていった。
インターネットには大した情報は載っていない。載っていたとしても、巨大掲示板にはネガティブな情報が多いだけ。当時、ささやかれた言葉に共感した。
ところが大きく形勢を変えたのは、gで始まる方のサーチエンジンである。(念のため、リンク。w)
広告の表示が少なく、何よりも検索結果の信憑性が全く異なっていた。膨大な量のサイトをブラウザごとに開いて(当時はfirefoxがなかったから、タブ表示機能のあるブラウザはなかった)、その上でCtrl+Fでキーワードを検索するという、二度手間も必要なかった。
めちゃくちゃ便利になった。情報の質やボリュームは、確かにまだまだ問題があったが、それでも底が知れるだけの能力を実現してくれた。
あとで知ったこと。
yのサーチエンジンは広告主からの、広告料によって無料で使用することができる。つまり検索していたのは、キーワードであるが、ユーザーがより早く知りたい順ではなく、広告主が高く支払った順に表示していたのである。
ところがgのサーチエンジンは違った。
順位をいくつかの組み合わせで考えた(というか、他社からのアイデアをあとから買った。サーチエンジンとして公表された当時は、実は収入方法を模索しているところだった)。
ユーザーの検索が多いキーワード。更新が新しく、新鮮な情報を提供しているサイトなどである。そして広告主は広告枠という、控えめなデザインで検索結果とは別に表示されるようになった。ユーザーは知りたい情報と、広告との区別が明確に認識できるのだ。
スポンサーの意向は反映する。しかしそれが全てではない。もしスポンサーだけが常に優位に立てるような、二十世紀初頭のような資本主義の考え方なら、ウェブなど、未だにマニア向けの、難解なものであっただろう。gはgreatのgなのだ。
正しいブログの書き方だと
サイトの更新頻度を高めるために、一定のフォーマットがあり、それを使って情報を追加していける方法。それがブログである。
効率よく、アクセスを稼ぐために、何をすべきかを取り上げていたものがあった。
流行のキーワードを本文中で取り上げる。
なるほど。新しく、しかも検索結果として注目されるから、相乗効果でさらに検索は上位に上がってくる。
だが、どうだろう。実際にnexus7について調べていた当時、痛感したのは、情報がぼんやりしてしまっていたことである。
ユーザーとして、一番知りたい情報はnexus7の使用感や、利便性、価格である。
ところが検索して出てくるのは「nexus7が発売されますよね。楽しみです」という、フレーズ以外に大して触れていないブログ記事であった。
おいおい。まるでyで検索していた当時と、情報の鈍さは同じではないか。
効率的なブログ。しかしそこにユーザーを食い物にするだけの論理しか成り立っていないのなら、またぞろ、yがもたらした情報冬の時代到来なのではないだろうか。
まさかgoogletrendでキーワードを拾い、それについて底の浅いコメントを繰り返すと、アクセスが稼げるというのか。しかしそれによって何が実現するというのか。アクセス件数という、実態のない数値と、自己満足と、ユーザーの舌打ちなのではないか。
浅ましく流行のキーワードをむさぼろうとしているブログやサイトをみると、いつも思ってしまう。
ときどきセミナーでも結果を安直に語ってしまう、うさんくさいのに出くわす。 |
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