日本人論のぶれ幅
日本人論そのものに興味はない。ほとんどが曲学阿世であるし、読み手が欲するものを上目遣いに書きなぐった程度の稚拙さしかないからだ。しかし、それだからこそ、日本人論の変遷が本当は面白い。
例えば、大正時代に書かれた文芸作品のなかで、日本人男性は弱きを助け、強きくじく、勇猛果敢を美徳として登場する。その強さは、わずか百年にして日清日露戦争に勝ったんだぜ、えっへんと。
単に文芸作品かと思いきや、同じ論調で時局を語ることが行われ、三国干渉に負けた政府の臆病さを痛罵する。
俺たち日本人がアジアを助けないでどうするのだと。
これが一転するのが、戦後である。
私たち、罪深い日本人ごときが申し上げるのはおこがましいのですが、ぐらいの卑屈さである。手のひらの裏返し加減は半端ない。
実はどっちも軽薄。極端に振れただけで、実際は娑婆のムードに便乗してるだけ。
チャラくても、全然いいっショ。なんつーか、考えんの、何か、だりーし。
そう。この軽さが魅力なのだ。本質とかって、ウザくない? なのだ。
農耕民族
しばしば狩猟民族VS農耕民族という対比で語られるのを目にする。(幸いテレビで、ごくまれに)ハレとケを、文化理解のキーワードに定義したのは、折口信夫である。
日本人の起源が南方にあると考えたのは、柳田國男である。
では、狩猟民族は?
戦後の和辻哲郎である。
これは実は一番欠陥アイデアなのだ。
狩猟民族は厳しい自然環境に生きてきて、時に非情になるが、それが現代では緊張に強い性質に生きる。
農耕民族は牧歌的な環境にあったため、温厚な性質をもっているが、それが現代の緊張した国際関係では弱さになる。
そんなことをまことしやかに語られるのを、聞いたことがある。
何となく違和感を感じた。
そして、それは正解だった。
狩猟民族が緊張に強く、国際競争に強いというのであれば、13世紀に東西の文明を始めてつなぎ、世界史を誕生させたモンゴルは、なぜ世界一の経済大国になっていないのだろう。
かぼちゃの語源であるぐらい、我々と同じ農耕民族であるカンボジアでは、クメール・ルージュがナチなみに粛正をしているし、あの本家では文化大革命当時に知識人を虐殺していたではないか。
全く、これらについて説明ができないのが、狩猟民族と農耕民族という対比なのだ。
つまり、戦後、日本が負けた理由をスケーブゴートするのに、こうした日本人論が分かりやすかったのだ。俺たち日本人は植木等演じる、お気楽な社員であればいいのだ。だって田子作だったもん、と言いたかっただけなのだ。
およそ、この太鼓持ち程度のあさはかさがたまらなく面白い。もったいつけた物言いだが、実はガムを噛みながら、前髪を掻き揚げて、女の子に指差すようなものだ。
「君ぃ、カワうぃね?」
まさか、彼が何か深いことを言っているとでも?
「いいね」押しときましたというタイトルの写真素材 こういう気遣いができる大人になってみたい。 |
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