2015年4月12日日曜日

野蛮人の群れ

金とか暴力の神様なんて

正倉院展が毎年秋に奈良国立博物館で行われる。千三百年前の、天平文化の文物を、半チャンラーメン+餃子セット程度の値段で見ることができる。

千三百年前に、我々の祖先がここに住んでいたし、こうした文化を育む余力があった。

保守的な政治を支持する人の中には、経済効率を最優先すれば、全て解決などという粗忽者もいるやに聞く。聖武天皇が経済推奨をしていたとでも、いうのだろうか。ずいぶんな言い草である。

ISはまるで伝統的イスラム文化に基づいた価値観で、近代国家を樹立したかのように主張している。

ところが、偶像崇拝だからと、メソポタミア文明の文化財を無造作に破壊している。女性を奴隷として売買し、異教徒と闘うことに汲々としている。

一昔前のハリウッド映画で描かれる、イスラム教徒は語彙が少なく、感情的で、間抜けなお人好しである。

ところが、アラビアン・ナイトで描かれているキリスト教徒は、臆病で、神経質な優男である。

お互いの無理解が、ステレオタイプのキャラクターを作り上げるのだろう。それは無知の証拠というべきである。

ましてや、異教徒に怯え、文化財を破壊することで、腕力を誇示しようとしているのだとしたら、おかしい。あまりにもキリスト教文化圏の考えるステレオタイプのテロリストを模倣している。

まさか伝統的ムスリムとかいいながら、孫引きのイスラム文化をつぎはぎしているのではあるまい。

彼らが宣伝しているのは、正当なカリフによるイスラム文化の復興でもなんでもない。文化を愛する余裕のない、多国籍なチンピラの掃き溜めがあり、そこでは誘拐と人殺しさえすれば、食べていけるし、神様の名前を借用すれば良心の呵責にも苦しまずにすむ、という程度ではないか。それが冒涜であるかどうかは別にして。


代償行為テロリズム

2001年にタリバンはバーミヤンの大仏を破壊した。木っ端みじんである。

あの報道映像をみた時に、嫌悪感を感じたのは、やはり文化財への無理解である。

では、あれがキリスト教のイコンであったり、ユダヤ教にちなんだものであったり、コーランであったとしても、やはり同じように不快感を覚えただろう。

ローマ法王やダライ・ラマ法王に向けて、批判のメッセージを送るなど、文明的な方法は使わない。その代わり、バーミヤンの大仏に爆弾を仕掛けて、スイッチを入れる。

それが強さだとでもいうのだろうか。

あの時、タリバンが発したメッセージは結局、強さでも、恐怖でもなんでもない。代償行為しかできない臆病者であることと、文化について理解の浅い、おつむてんてんなことでしかない。

現代、日本国内にムスリムは少なく、イスラム教徒の人口は圧倒的にマイノリティであるため、テロの脅威に直結しにくい。

その代わり、春日大社や東寺、唐招提寺といった寺社仏閣に対して油をかける、不貞な輩に戸惑っている。

どんな主張や、怨恨があるにしても、敵対する権威に直接立ち向かわず、もの言わぬ物体を傷つけるのは、単なる代償行為でしかない。群衆で日の丸燃やすのは結構だが、日本に来てから、同じことをする覚悟はないんだろ? だ。

東大寺は平安時代末期に、一度焼失している。

強訴に及ぶ東大寺の僧兵たちに対して、報復に平重衡が焼き討ちにする。(この罪で父清盛が熱病に犯されて死ぬというのが平家物語のエピソードであるが、仏教的な道徳観からいっても、ちょっと無理がある)

聖武天皇の勅願で企画され、行基菩薩が寄進を募って、実現した東大寺の大仏が、真っ黒クロスケになってしまう。

その結果、どうなるか。日本の仏教文化は衰退し、無くなってしまうのか。

実は全く逆。

頼朝が征夷大将軍になって、平家がいなくなると、再建するために、僧侶たちが仏教とは何かの問いに、答えを明確にしようと、思索にふけ、勧進につとめる。鎌倉仏教と呼ばれるムーブメントはここからはじまった。

皮肉にも、戦災によって被害をうけたからこそ、希望とは何かを真摯に見つめ直し、教えをバージョンアップしたのだ。

ISしかり、寺社への物損しかり、冒涜は結果として、本質を深めることにつながるのではないか。この矛盾。

テロリストも、愉快犯も恐れるに足りない。不快なだけ。夏場の夜に、冷蔵庫の裏に逃げる、あの陰の気配のようなものである。

日本には馴染みが薄い涅槃像
真似して肘枕で願い事したら、多分怒られる。

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