面倒くさい更新
ブログを更新していくのが、面倒くさい。SNS全盛の時代に、ブログを書いて、主張するのが気恥ずかしい。
そんな理由でブログをはじめないという人の意見を聞いた。
なるほど。ふとかえりみて自分がやっていることはなんなのだろうかと、不安になってくる。
頼まれもしないのに、更新をしているし、更新したらしたで、SNSを使って案内したり。
面倒くさいし、どうして、わざわざそんなことをしないといけないのだ。
だが、ふと思った。書いてみたいと思うことがしばしばある。そして、他の代償行為でごまかしたり、継続という新たな試みを放擲して、何か自分を甘やかすための逃げ口上を並べたてる、浅ましさを嫌悪する。
書きたいなら、書けばいい。飽きたなら、苦痛であると面白く書けばいい。心地いいことを積み重ねることだけが、幸福ではないのだ。そんなものだけが、幸福なのなら、違法ドラッグ常習者が幸福を実現するために、努力している理想ではないか。そんな短絡的なことなど、人間には耐えられない。
退屈でも更新せざるを得ない
毎日更新して、何か実るか。何か商品を紹介して、アフィリエイトの実績を小出しに公開して、会員制メルマガで儲けてみたい。SEOについて、もったいつけたことを言うてみたい。
でも、それだけが目的なら、なんとなく寂しい。
お金にならないのなら、やはり遊びでいいではないか。
頼まれてもいないのなら、やはり遊びでいいではないか。
好きなことや、気になったこと。書いてみたいと思ったことを、できるだけ、頻繁に更新する。
だから、テレビ番組の感想や、週末の旅行記もあるなかで、結構趣味に突っ走り続けるものを書き続けていけばいいと、最近になって、自覚しなおしている。
気になるもの。
フリー素材である。
チベット仏教のタンカ(仏画)を見た中で面白かったのは、伝統的な背景に対して、描かれた高僧だけが禅の頂相(僧侶を描いた絵画)のような墨絵であったもの。
現今のナーバスな社会状況とは別に、もともと交流があって、中国とチベットはコラボ作品を残していたのだ。
それと同じようなものを、フリー素材の絵画で見つけた。
清朝にしてみれば、歴代王朝の中華思想も継承していることになり、前提は自国が世界の中心であるという自負がある。
しかし彼らのいう西の蛮族の絵画技法である、油絵を取り入れて、勇壮な皇帝の姿を描こうとする。
ヘレニズム文化として、彫刻家たちが仏像を彫ったときに、インド人たちはきっと思っただろう。
「え? ブッダって、こんなんか? なんかイメージあわんけどなぁ。原作の仏伝とちょっと違うかも」
要はコラボである。
フリー素材の中から拾った乾隆帝 伝統的女真族の衣装にロマン派の馬というコラボ作品 |
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