2015年8月31日月曜日

防災の日の反対側

「天災は忘れた頃にやってくる」

関東大震災の後の、寺田寅彦の名言である。

東京が大規模祭を体験するのは、その前が幕末の安政の大地震だから、68年前。本当に忘れた頃にやってきたのが、関東大震災ではなかっただろうか。

9月1日は防災の日である。関東大震災(1923)が起こった日である。

現在、震災と言われると、岩手県三陸沖地震か阪神・淡路大震災を連想だろう。忘れなければ、震災がこないわけではないが、被災したあとの助かり方は圧倒的に変わる。

経済ではない。経済の打撃が問題であるかのように言われるが、それは一旦でしかない。

阪神淡路大震災後、十年経っても、景気が悪いままだといっていた人がいたが、彼は被災時に頭をぶつけてしまったのだろう。被災する前から景気は悪かったではないか。

ましてや一回や二回の震災で、破綻するような経済や社会システムなど、江戸幕府以下の脆弱さではないか。

防災の日をわざわざ訴えるのは、生産手段もなく、納税義務を持たず、投票権のない子供であろうとも、同じ人間が一人でも助かるようにという悲願が前提にあるからではないか。

人権よりも先に、同胞が苦しみにあっても、なおかつ生きていてほしいと思うからだ。宿願であり、悲願である。業である。

そんなに生き残っていて欲しいと願っているのにも、関わらず、もっと不謹慎な数字が出た。

9月1日の自殺者数である。1973年から2013年までの間で、1972~2013年の42年間の18歳以下の自殺者を日付別に整理すると、9月1日が131人で最も多いのだ。

防災の日だから、備えて、サバイブしようぜ、といっているのにも関わらずだ。この皮肉。夏休み明けに憂鬱になって、思いつめてしまったのだ。

しかしナーバスな問題である。自殺を衝撃的に伝えることで連鎖を引き起こすという警戒から、WHO・世界保健機関の定めた、メディアへのガイドラインがある。http://www8.cao.go.jp/jisatsutaisaku/link/kanren.html

その中で、センセーショナルに取り上げないように指導されている。

ここでいくつか思うことがある。

センセーショナルに扱わないということの結果、実は避けている。見ないでいる。両手で目を塞いでいるから、存在しないという報道姿勢を感じる(ガイドラインでは、当然の行為のように扱わないと規定されているが、落ち目のタレントの自殺など、残念ぴょん程度の扱いではないか)

遺書がないと、自殺ではなく、変死として扱われるとか。警察庁の発表は3万人でしかない。しかし年間15万人の変死者がいて、その半分を自殺とカウントしたら、11万人弱が自殺とカウントされてもいいという。

いやいや、そんな馬鹿な。それだけの人間が毎年死んでいて、なんともないなんて、法治国家としておかしい。そう思った。

我が国は確か、宣戦布告を過去75年していないし、どこからもされていない。非戦闘状態なのだから、国民が大量に死ぬなんてことはあり得ない。

まてよ? 気になって、東京大空襲を調べてみた。

当時の警視庁の調査が出ている。8万人が死亡。4万人が負傷。え? 足してやっと12万人。

いや、死亡は8万人だと? 空襲で死んだ人たちが8万人で、空襲を受けていないはずの我々が11万人だと? 東京大空襲よりたくさんの人が、一年で死んでいるだと? 非戦闘状態の法治国家で、基本的人権をうざいぐらい主張している国が?

まあ、政府のお口ぽかんなデータなど、そんなものではないか。よかった、遺書がなかったぁ。じゃあ、変死カウント1ね? ぐらいのノリなんだろう。

問題を直視しなければ、存在しないなどと、おまじないみたいなことをいっていてはいけない。

関東軍は負けたことがないから、南方の皇軍も負けないハズ、といっているようなものだ。一億玉砕など、無責任きわまりない。

ひとごとにしない。寺田寅彦が言いたかったのは、NHKの被災者のドキュメンタリーをみて感傷的な気分に浸ろう、ではない。生き残ることに、油断するな、である。

我々の祖先は、霊長類の中でも、高度なコミュニケーション能力で生き残ってきたのだから、自分一人で生き残るより、隣人と助け合った方が圧倒的に生存率が高まる。

助け合うのは美学でも、美徳でもない。本能なのだ。だからこそ、寺田の言葉に意味がある。そしてその反対の自殺にしても、決して他人事にしない。我々には食欲や性欲以外にも、本能があるのだ。助け合う本能があって当然である。

pinkのRaise your glassでも使われた、大戦中のポスターなんだとか。
一般的に知られたのは80年代以降。

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