今後、ウェブに上がるデータは増え続け、2020年までには約35ゼタバイト(35兆ギガバイト)へ拡大する見込みというような話であった。
全然ピンとこなかったが、地球上の砂粒を全て集めたのが、1ゼタバイトみたいな、表現をしていた。
壮大な単位である。
そんななかで、動画は圧倒的に認知度が高く、定着率もいいという話であった。
だが、ふと思った。ゼタバイト。似たような表現を以前聞いたことがある。
カルパ(劫)だ。
大智度論の中にある、カルパというの100年に一度天女が降りてきて、400キロ平方メートルの岩をひとなでする。この岩がなくなるまでの時間を指す。(とにかく長い時間という表現を、具体的にしているようで、フィクションを混ぜてしまっているから、全然抽象的で、ニュアンスしか残らない)
それに比べたら、ゼタバイトなど限りあるものだ。
しかしどうして、こんな連想になったのか。
天女が羽衣でこすったのが岩であり、きっと砂粒ができただろうなという想像が、ゼタバイトの説明に変につながったのかもしれない。
科学の先端にある、21世紀のデジタル・ITの用語が、2世紀の仏教論書と変な連想でつながった。
こんなことを考えるのは、自分だけだろうかとふと思ったが、すぐにやめた。
この記事を読んだ人が「ゼタバイト」の説明を聞くたびに、宙に舞う砂粒を連想し、その先には物憂げな天女が巨大な岩から離れていく姿を想像するだろうから。決して、自分だけではない。
そんななかで、動画は圧倒的に認知度が高く、定着率もいいという話であった。
空から人が軽やかに降りてきて音楽を奏でるイメージは、 聖書も来迎図も、実は同じ。 |
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