仏教東漸を京都国立博物館で開催している。
特別展観といいながら、常設展料金で入れるし、常設展会場であったが、関連展示が充実していたのが特徴的。
仏教の典籍と美術、というサブタイトルの通り、紺地金泥の写経や、経箱、木活字など、活版、装丁、表装というプロセスの、当時の最新鋭な機器が紹介されている。
こうした背景があって、最終的に近代仏教文化の精華、大正時代の大正新脩大蔵経につながっていくことがわかる。
そうしたなかで、特に面白かったのは、各宗祖と呼ばれる人たちの真筆を比較できること。
通常だと、宗祖とその後継者をテーマにすることが多い。そこで終わるから、宗派 を越えて、俯瞰することはまず、ない。
しかし今回は各宗派が京都にたどり着き、展開していった”仏教”という大括りで展示。なんと空海と最澄(御請来目録)、親鸞(教行信証)の真筆と伝えられる文献を間近に見ることができる。
それもそれぞれの宗派で重要な文献であり、結構緊張感をもって書かれたであろう背景を考えると、筆使いも力んだものにみえてくる。
もちろん、日本に渡ってきた仏教は京都ではなく、奈良が先である。そうおもうと、奈良も含めた関連展示があればとも、贅沢に想像してしまうだろう。
チベット語の経典を目録には記載していたが、展示スケジュールが終わっていたのか、見られなかったのは残念。
紙を経本のように折り曲げるのではなく、一葉ずつ両面を読み上げる形式のもの。(ダライ・ラマ十四世は幼少の頃、これを散らかして大目玉を食らったということを自伝で紹介している)
仏教の裾野の広さをより深く堪能できただろう。
一番のみどころはこうした、表現の多様性である。活字あり、イラスト付経典あり、頂相(師匠を描いて提出し、師匠から賛というポエムをつけて返されたら、後継者として認められたことになる)ありと、むにゃむにゃ唱えるための仏画と文字だけと思ったら大間違いの充実さである。
また、外伝的に面白いのは夏の納涼企画か、百鬼夜行図を展示していること。
打ち捨てられた道具たちが、積年の恨みをもって、生き物に化けて練り歩くというストーリーだが、なんの展開もなく、あっさり陀羅尼の功徳で追い立てられて終わる。
その練り歩く描写が一番の面白さ。
現代の漫画のルーツに、葛飾北斎や鳥獣戯画を求めることが多いが、それより先にフルカラーで確立していた表現技法に親しむことができる。(現代の漫画家の多くが、筆を使った表現に一度は挑戦するのも、こうした背景があるからかもしれない)
タイトルがおどろおどろしい割に妖怪たちは、村上豊のイラストか水木しげるの漫画のように、どこまでもコミカル。
仏教伝播の変遷を清流とするなら、傍流たる妖怪たちもあり、清濁合わせて堪能できる。
繰り返すが、内容的にかなり、お値打ちである。
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