本来、年中無休で霊は現れていいし、彼らなりの主張は季節に影響されないはずである。しかし冬場の息が白い中で、恨めしがられても、興ざめである。
怪談はやはり夏のものだろう。
おばけが見えるという人の話を聞いたことがある。自分はそういう体験がないので、不気味に思う。羨ましいと思ったことはない。
得意げに話す人もいたが、見えないに越したことはない。
ところが江戸時代の国学者にして、神秘主義者の平田篤胤は幽霊が見えるのは、むしろ自然だと主張した。
人間が生きている世界と別に、死後の世界(幽界)があるのではない。現世からは見えないが、紙一重のところに幽界はあり、向こうからこちらは見えている。
こちらの祭祀を見て、向こうから働きかけてくるのだという説をとっている。
つまり幽霊は、幽界から立ち現れた現象であって、それを認識する人がいても不思議ではないというのだ。
幽霊は遍在するという、物騒な見解なのだ。それも年中無休で。
あんなに宜保愛子が語っていたことも、自然の一つだとするなら、なんかちょっとつまらない。やはり特別な人が、特殊能力でもって初めて、そこに何がいるとか、見えているとか言われた方が、ぞっとできる。
なんとなく、先入観で、幽界を設定し、おどろおどろしく、期待してしまう、この浅ましさ。
むしろ、幽霊にすら、こちら都合を押し付けてしまう。
実は人間の方が恐いのかもしれない。
抵抗すれは死であるという意味の、海賊の側。 仏教では人間存在が永久でないことの象徴として、 しばしばドクロを用いる。海賊の旗も実はそういうメメント・モリであったのかも。 |
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