2015年7月4日土曜日

論語読み

とある宗派に関連した報道機関で仕事をしていたことがある。

人脈のある、年配の僧侶のそばで仕事をする。

高祖の言葉や故事に造詣が深く、先達として慕う人も多かった。

彼の執筆部屋に購入したマンションの一室は、普段使われることがなく、その清掃に駆り出された。

無人のベランダに鳩が巣を作ろうとしていた。彼はそれを箒で追い払った。

その鬼のような形相。

自前のベンツを愛撫し、使わない物件を自慢し、気難しく、意に染まない人を平気で糾弾し、従業員の社会保険は払えない甲斐性なし。

ウザいな。当時思った感想である。今、思うことはただ一つ。本当にウザいな。

夢窓疎石の逸話が好きである。

師僧への帰依を厳しく説く宗派にあって、師僧が臨終の床についた時に、こういう。

「死にたくない」

戦後のポピュリズムで考えれば、”人間らしい”ということになるが、鎌倉時代ではそうはいかない。

そもそも、いつか死ぬことなど、自明中の自明だったではないか。それを自覚し、伝道し、生きることの豊かさを告げるのが、仏弟子ではないのか。相対的な死をもって、怯える無明こそ、仏教のもっとも軽蔑するところではなかったか。

師僧の没後、疎石はその宗派を離れ、禅門に入り、修行し、印可を授かる。

北条高時、後醍醐天皇、足利尊氏がその膝下で教えを乞うようになっていた。

しかし時の権力者に慕われながら、決して迎合しない。南北朝時代において、北朝側の京都にありながら、南朝の後醍醐天皇を追善する寺院の創建を認めさせている。それが世界遺産として残る、天龍寺である。


論語読みの論語知らず。高圧的な物言いで、慈悲を語るのと、同義語である。

ダライ・ラマやティクナット・ハーンが、ゆっくりしたトーンと、思慮深く、優しく語りかけてくるのを見ると、きっと釈尊の語り口はこうだったのではないかと想像できる。

論語を読んでも、正しいことができない論者。哲学を研究はするが、学閥争いに暮れる俗物。

ウザいなと、感じるのはここなのではないだろうか。

ビジネスマンなら、利益と見るや、たちまち手のひらを返して仇敵の肩を抱く。クリエイターというからには、収入が割に合わなくても、創造にのめりこんでいく。

そこに虚栄や、生半可な道義心などが紛れ込むのは、論語知らずではないか。

法論争どちらが勝っても釈迦の恥。江戸時代の川柳である。

争うことの不毛さを説いた人の末徒が、互いに正統を争うなど言語道断である。

論語読みをたくさん見てきた。その時の嫌悪感はまだ胸中で疼く。彼らの歳までには、せめてまともでいたいと、焦る。
スリランカの仏像というフリー素材。
花を持っているから、多分、観音菩薩。
Canonの語源にもなった。

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