Libra officeという福音
デザイナーや製版屋さんは、mac 版のofficeソフトを買うと法外に高いとよくぼやく。そりゃそうだろう。
ビル・ゲイツが天敵のジョブズ一派の儲けを、少しでも削らせるためには、主力商品のMicrosoft officeを、敵のmacでは使いにくくして、売れにくくするのは定石ではないか。
現在でも、DTPの現場では、mac環境がやはり標準であり、一般ビジネスではwindows環境が席巻している。
このはざまで、結局割りを食うのはデザイナーや印刷オペレーターである。
そこで、彼らに紹介しているのは、Libra officeである。
macやwinでも、linuxでも使えるし、何より無償が魅力。
この無償ということに、誰もが警戒するらしい。
Microsoftは何万とするのに、無償で使えるなんてと。
そうである。ほとんど宣伝されていないのは、ここにある。
広告費を必要としていないし、収益を目的として開発されているのではなく、自由に使えるべきだと考える有志が集ったコミニュティによって開発が続けられている。
このコミュニティという概念が、日本では馴染みが少ない。
スキルを持っているのに、それを換金しない人間など、存在しないと信じられているからだ。
ところが海外では、(アメリカに限らず)スキルをもって、自分の利益よりも、みんなの快適さをシェアしようぜ、という心意気に満ちた人たちが多い。(開発した俺ってすごいっしょ?的な人も圧倒的に多い)
結果として、無料で、Microsoft officeソフトを立ち上げることができるアプリケーションを入手できるのだ。
このことを知らない人が多く、わざわざビル一派に献金してまで、Microsoft officeに奮発してしまう。
確かに、Libra officeは万能ではない。Microsoft officeを読み込むと、レイアウトが崩れたり、描画が正確に再現できなかったりする。
しかし、「そういうことも起こり得る」という理由で、何万円も献金して、三年で旧式になるソフトを買う必要があるのだろうか。
告白してしまうと、自分は97年に初めてパソコンを買った時に一太郎を購入した。それ以来、職場で使うことはあっても、一度もMicrosoft officeを個人で購入したことはない。
個人で使うのは、全てLbra officeで完結している。
何が不便か。
Microsoft officeとメニューのアイコンのデザインや、フレームの色が違う。
それだけ。
それ以外にない。保存形式でMicrosoft officeを選べてしまうから、返信するときも、その形式にして添付する。
逆にMicrosoft office2000やそれ以前のバージョンを使っていた人にとっては、2010や2013より、Libra officeの方がはるかに使いやすいだろう。全てメニューが最初の画面から選べるのだ。
どうして警戒されるのか、どうしてそんなにみんなビル・ゲイツを信頼するのか、不思議に思う。
なんとなく、不安だから。なんとなく、みんな使っているから。。。
そういうイメージこそ、実はブランドなのだ。
そしてLibra officeから言わせると、そのブランドすら、最近は成り立たなくなっている。つまりMicrosoft自身がofficeの互換性を悪くして、不安定なものにさせている。
むしろ飛躍的なデザイン改変や、機能改正がないから、Libra officeの方が安定してバージョンアップしているのだ。
officeソフトが高いと、困っている人には、率直にLibra officeを紹介する。
しかし困っていない人にわざわざ話さない。話しても、なんとなくMicrosoftのほうが知られているからと、触りもしないからだ。
95年以前、Microsoftなんて会社、誰も知らなかったのに、いつしかそれも盲信するようになっている。盤石だというのも、イメージでしかない。
だけど、わざわざそんな話をしない。個人の自由でいいではないか。
ただ、パソコンを覚えようとする若い人に対して、店員がMicrosoft officeをインストールしていないと、社会人としてダメみたいな言い方をして売るのは、関心できない。
自分の知識の無さを、ブランドで糊塗して、未来ある若者を食い物にしようとするのだけは、許せない。自分もしばしば食い物にされたし、されかけた。
ビルに献金する金があるなら、その金でもっと貴重な経験や自己投資はできるはずである。
ましてや、なんとなく大樹の影にすがるなど、じい様の専売特許だ。若者がやることではない。
ubuntuだろうが、chromeosだろうが、 ブランドイメージではなく、相性で選ぶべき |
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