市の運営する施設の利用について、案内している書類を見たことがある。
「祝日とは、国の定める国民の祝日のことです」
そんなことが書かれてあった。
最初は何のことか分からなかった。
しかしあとで、はたと膝を叩く。
国が定めた”国民の祝日”だから、特定の宗教や宗派に偏ったものではなく、慣習的に国が定めているものに準拠するという表明なのだ。
なるほど。
祝日のルーツとなった祭りは、民俗学(宗教学ではない)によって分析され、変遷をたどることができる。
春分の日は田植えの豊作(秋分の日は豊作感謝の祭り)であったり、太陽神ミトラスの再生祭りがクリスマスになったり。
純粋に宗教文化というより、民俗学ないし歴史学の分野で解明されているのが、本来の祭りであり、祝日である。
しかし特定の宗教や宗派を起源に、祝日を設けてはいけないというのが、現代日本の正しいあり方なのだ。
だからこそ、公共施設も、特定宗教の休日にちなんで休館するのではなく、「民主的に選ばれた代表で構成されている、国会が立法した国民の祝日に基づいて」とまわりくどい言い訳をしないといけないのだ。
文明開化を国是としていた当時は、必死にキリスト教文化に馴染もうとしていたのに。
大変だなぁ。個人の信教の自由を守るために、伝統文化よりも個人の権利や、主張を遵守しないと民主国家ではないのだ。(ワーキングプアの生存権など、糞食らえなくせに)
なんとなく、無機質で、人口的で、乾いた感覚。誰でも定着できるようで、誰一人迎えてくれない距離感。
断食明けにはしゃいで、お腹いっぱいになる人々。感謝祭だからと、肉の切り分けに忙しい人々。祖先の霊を川辺で見送る人々。
祭りと祝日は渾然としていて、なおかつ騒がしいという世界が、心底羨ましい。
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