どの種類が、どう販売されいていたのか、さっぱり分からないが、かつてテレビCMで映っていたものが千五百円程度で販売されていた。
今から、およそ5年ほど前のなのではないだろうか。通信ができるとか、人気ソフトの続編が登場したとか、当時、話題になったはずである。
ゲームをがっつりやっていれば、それなりに楽しめたのだろう。
しかしそれらを見ていて、思った。
冷蔵庫の中身を入力するだけで、献立を教えてくれるソフト。日々の出費を入力すると、会計としてまとめてくれるソフト。適正な運動量をアドバイスしてくれ、ダイエットをゲーム感覚で演出してくれるソフト。
待てよ?
現代ではそれらは全て、スマホで代用されているではないか。
つまりユーザーのニーズは変わらず、店頭ではなく、通信を介してフリーソフトとして、アプリケーションをインストールし、使ってみて、グレードアップとして課金するという、消費の仕方が今や主流である。
ブランドが何やらの先生監修で、下請けプログラマーに作らせた、結構お高めなソフト(お試しなし)という販売方法とは圧倒的にことなる方法である。
ましてや、当時からgmailアカウントで、カレンダーやdocsを使っていると、機能が拡張されていくのを目の当たりにするし、不便さがgoogleに送られて、どんどん改善していくのを目の当たりにしている。
(結局、それらのニーズはgoogleappsに反映されて、ビジネスとして活用されている。)
ウェブの利便性を最大限に生かしているだけではなく、消費しているのか、モニターに参加しているのか、よく分からなくなる。
販売してやるから、買え。そういう、旗印ブランドのような売り方はとっくに終わっていたのだ。その過渡期にあって、まさに任天堂は通信を取り込みつつはあったが、舵を切るにいたらなかった。
日本製のゲームは世界で通用するという、90年代の消費行動を今でも妄信しているとしたら、時代錯誤もはなはだしい。
任天堂から販売の下請けをしていたという人の話を聞いたことがある。
「今期はいくら売ってほしいんだ?」
任天堂さまから、お商品をおゆずりいただかないと、ワシらなんぞ、おまんまの食い上げでごぜぇますだ。どうか、いくらでもお申し付けくだせぇ。どうか、後生でごぜぇます、マリオカートをお目こぼしぐだぜぇ。
花札とトランプを作っていた会社が、80年代の成功を経ると、そうなるのだ。
かつてi-phoneを宣伝する際に用いられた、ギターのコードを押さえて音を出すというアプリは、確かルクセンブルクの個人プログラマーが開発したのではなかったか。
価値観が変わったり、社会体制が変わったり、何かとんでもない時代が来たと、何かにつけて、騒ぐ人をテレビで散見する。
本当にそうか?
消費の仕方や、販売方法が変わっただけなのではないのか。売られているものパッケージは変わったが、本質は同じなのではないか。
子供の対戦カードゲームは原色で印刷するから、 色のブレ幅が大きくてもOKで、数を印刷するから、 印刷屋さん的にチャリンチャリン。 |
0 件のコメント:
コメントを投稿