重たい機関銃を乗せるだけではなく、運転手とは別に狙撃手が左右に回転させて撃たないといけない。
その時に必要な技術が、ベアリングである。
均一の大きさで、限りなく完全に近い球体のものを製造できないと、戦局に大きく影響してしまう。
この技術が日本では良かったらしい。
戦後、この丸い玉を作る技術は別々の用途に進化していく。
多少荒くても、大量に作れる技術は、ランダムに玉を弾く遊戯パチンコに進化していく(だから、日本にしか、あの遊具はない)。
精確な球体を再現していく技術は、さらに小さくなっていく。
そしてできたのが、ボールペンである。
どういう角度から、どう動いても安定してインキを供給するためには、小さく、精確な球体が必要なのだ。それを実現したのが、国産のボールペンである。
気取った成人男性向けの雑誌で、万年筆を紹介していることが多いが、なんのことはない。ボールペンを作る工業的なインフラとスキルが、海外にはないのだ。
海外旅行にいき、特にアジア圏にいった人に話を聞くと、日本製のボールペンの効果は絶大だという。チップの代わりに重宝したという話もきく。
インキが最後まで出るように長く使える。書き味がいい。軽い。それが日本のボールペンなのだ。
台湾でボールペンを売りつけてくるのを見たことがあるが、結構太い玉で、重たいものを自慢していた。
日本に来た、フランス人がフランス料理店で料理に苦笑いしたり、イタリア人がナポリタンに肩を落としているのだとしたら、我々日本人は海外で書類にサインするときは肩をすくめていい。うわ、こんなぶっといペンで書けってか? みたいに。
”失われた10年”が20年になったり、30年になったり、半世紀になったりするのだろう。まるでヘミングウェイを気取ったような言い方だが、何を失ったというのか。成長神話と猛烈社員が失われたというのなら、大歓迎ではないか。
それと同じようなトーンで、日本の製造業がダメになったとか、なんとか言われても、にわかには信じない。
国産のボールペンが書きやすく、安価で、コンビニで何かを買うついでに手に入るのなら、日本の製造業と流通産業がダメになったとはいえない。
国産ボールペンよ、永遠に。日本の技術の旗印であり、敵機を撃ち落とす必要がない社会の象徴である。剣より強く、永遠たれ。
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