2015年6月7日日曜日

個人情報

軍事アナリストの小川和久氏が講演するのを取材したことがある。

当時から、北朝鮮の脅威について、情報が扇情的に流れていた。それに対して氏は面白い指摘をしていたのを記憶している。

「その国家のパイロットがいかに優秀であったとしても、地上部隊がそれを補佐していないと、戦闘は維持できない。もちろん、日本本土を狙うのであれば、地上部隊を輸送する、海軍が必須。これらを総合的に判断して、はじめて軍事力といえる」

トータルで判断しないと、しばしば断片情報に踊らされる。そしてそれこそが、相手の狙いだと。

なるほどなぁと思った。

社会保険庁から、年金受給者の個人情報が流出した事件。

結構、深刻な問題だろうが、結局は再発と成りすましを防いでいくことでしか、決着点はないだろう。

マスコミは、社会保険庁を槍玉にあげて、大臣の引責辞任の囲みを撮影したいだけだ。政治でも、社会問題でも、なんでもない。報道されるのは、ワイドショーなみの”政局”。

問題はそこなんだろうか。


個人情報とは、情報とは、ではないか。

個人を特定する情報。姓名、住所、年齢など。

それらは全て、何人も知ることなく、秘匿されないといけないという、ゆがんだ人権意識が一層、事件の深刻さを深めている。

もちろん、公的機関がこの情報を流出させたことは、法的にも、道徳的にも許されるべきことではない。

しかし個人情報という、万能のカギが奪取され、個人の資産がことごとく、詐欺師たちに吸い取られていくと怯えるのは、フィクションにしても、出来が悪すぎる発想だ。

個人情報といっても、いくつも種類は異なる。

住所、氏名、生年月日程度のものから、クレジットカードの利用履歴、病歴、給与や資産まで。

今回の流出は氏名、生年月日、住所までであった。決して、口座から全て奪われたわけではない。

それなのに、一切、個人情報ばかりか、名前すら誰にも教えないというのなら、羹に懲りてというのではないだろうか。臆病にもほどがある。

情報は漏れる。漏れない情報など、無い。

漏れないためにどうするか、など、今回の職員のうっかりミスを知れば、水掛け論にしかすぎない。

情報は漏れる。それをどの程度まで漏れないようにするのか。

逆にいうと、職員が全ての情報にアクセスでき、端末にダウンロードできるという運用フォーム自体が間違っていなかっただろうか。

個人を特定するのに、必ずしも全て必要であったのだろうか。本人確認であれば、ある程度のレベル以上は手元に置く必要はなかったのではないか。

それら日常業務を振り返らず、ぼんやり外注先に丸投げして、マニュアルを部下に読ませて仕事をしたつもりになっていたのだとしたら、問題はもっともっと深刻である。

何を改善すべきなのかが、まるで見えていないし、当事者でありながら、その意識が欠落しているのだ。

幼稚な責任論に逃げるほど、国民はバカではない。

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