元請けのディレクターの出入りが激しいことが、まことしやかに囁かれていた。
今回入社した、と紹介される人が半年後にはベテラン風な口ぶりで周囲に指示を出し、一年たつとアルバイトを顎で使い、さらにすると、物凄く考えが浅い人間であることを露呈するか、退職するかであった。
とにかく人がいつかないという。
その理由は?
朝、出社する。朝礼のあと、昨日の作業の続きと、数ヶ月先の企画準備というスケジュール。
その企画というのも、見出しの派手さに牽引される、お得感や好印象とか。ひたすらご結婚おめでとうと、乾杯している情景を思い浮かべて、そこに関する記事や広告を考えないといけない。
幸せな風景をイメージしている割に、短納期、深夜残業でヘトヘトという不幸な実態。
そりゃあ、辞めるだろうなぁ。
幸せばかりでは、人間はいきていけないのではないか。ふとそんなことを思ってみたりした。
幸せを想像し続けていると、幸せになれる、とかいう、「ぼんやり幸せ」信仰はあまり好きではない。これにビジネスバージョンも同様である。
はっきりいって、そんなに世の中甘くない。高度経済成長期ならまだしも、努力という積立預金をしていれば、高利回りで幸福が舞い込んでくるなんて屁理屈、今時の中学生でも騙せないだろう。
幸福な情景を思い描く苦痛。なんという矛盾か。
幸福だけでは、生きていけない。パンのみでは生きていけないのと同じ道理なのかもしれない。
結婚情報誌の吊り広告を見るたびに、思ってしまう。
購入者と、編集者の、見えざる深い深い溝。その深淵をふっと覗いてしまったのかもしれないと。
18歳人口が多かった時代は、 ご祝儀目当てに、業者という業者が。。。 |
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