2017年5月14日日曜日

松の廊下

  • 松の廊下
ズボンやスカートの丈が長いこと。

歌舞伎の仮名手本忠臣蔵で塩冶判官高定(モチーフが浅野内匠頭)と、高師直がずるずると長袴を引きずっていたことからの連想。

当時の江戸城では、実際に長袴の着用は基本フォーマルだが、公家文化にルーツはない。リアルに暴れられないようにすることが目的であった。(浅野内匠頭のような人がすぐ取り押さえられるように)

「もうちょっと丈なおさないと、そのままではまるで松の廊下じゃないか」

そんな風に使っていた。

さすがに店員さんで使っている人は見たことがないが、実はいるのだろうか。

  • 勧進帳(オリジナル)
犬が散歩中、片足をあげて用を足しているのに、飼い主が首輪を引いて咳かせる様。

鎌倉幕府の追跡を逃れて、山伏に扮して逃げ延びる義経主従は身分を疑われ、関所で呼び止められる。弁慶は関所の役人との問答の末、手元にあった巻物を勧進帳(募金名簿)として読み上げて疑いを晴らす。

非礼を詫びる接待を受けた後、弁慶は主君義経を追って、派手に片足ずつ踏みしめて、花道を去るというラストシーン。

小さいワンちゃんが片足で、ちょんちょんと進む様とのギャップがいいと思う。自分なりに使っているが、一向に普及しない。(そりゃ、そうか)

ついでに。

漫画家赤塚不二夫に才能を見いだされて、テレビで活躍するようになったタモリは、2008年、恩人赤塚の葬儀で白紙の弔辞を開き、朗々と読み上げた。

あれこそ正しい意味で「勧進帳」として紹介されてほしい。

シラノ・ド・ベルジュラックでも、ラストはヒロイン・ロクサーヌが持っていた、亡き恋人クリスチャンの手紙を、シラノが夕闇の中で読み上げる(シラノが代筆をしていた)。

読めないはずが読めてしまうという演出で、似た趣向だが、タモリの場合はシラノより、勧進帳と評された方がカッコいい。
試着室で「ちょっと裾丈が松の廊下ですね」というと、店員さんは必ず曖昧な返事

2017年5月13日土曜日

wunderlistがなくなるなら、google keepがいいじゃない

(パンがなければ、ケーキを食べればいいじゃないをもじりたかった)

かれこれ五年近く使っていたwunderlist。

シンプルな操作と、何よりも#が使えたことがよかった。(今は亡き、catch.comはこうしたタスク管理の先駆けといってもよかったんやね)

・メール受信機能で一元化できた。
・#でキーワードを設定し、後から取り出せた。
・デバイスを一切問わないため、何に入力したのか、ではなく、何を入力したか、に傾注できた。

などなど、メリットは計り知れない。(あと、壁紙が眠り猫にできたとか)

しかし魔の手が忍び寄っていたのだ。定番のマイクロソフトである。

彼らが買収したサービスはしょぼくなって、有料提供されるし、アメリカ人のイメージ写真のついた、説明を延々と読まされたあげく、ログインができなかったり、よく分からない機能を覚えさせられる。(onenoteは未だに、使い方と利便性がよくわからない)

幸いSkypeの被害は大きくなく、標準的な機能に遜色ないが、今回のwunderlist買収は致命的である。

マイクロソフト様は告げられた。

「汝、タスク管理をしたければ、wunderlistを使うまじ。todoistに悔い改める者だけが救われるであろう」

マヂでか?

todoistは一度試してみたが、その時は予備知識もなく、操作性の悪さにこう思ってしまった。

(まるでマイクロソフトの製品みたいに使いにくいな)

わお。マイクロソフト製品やった。

移行を無料でしてくださる(https://ja.todoist.com/import/wunderlist)というのだ。そのうち有料になるかも知れないが。

ただ問題があった。todoistがwunderlistより、いいものかどうかというより、無料版でどこまでできるのかである。

wunderlistで盛んに使っていたメール送信(特定のメールアドレスにタスクを書いてメール送信すると、タスクリストにしてくれる)機能が、何と有料なのだ(https://ja.todoist.com/comparePlans

やだなぁ。

巨万の富を手に、いろんなサービスやアプリを買収する。

それによって、さらに巨万の富を得ようとしている。まるで二十世紀の帝国主義ではないか。

はて。巨万の富を持ちながら、いろんなところを買収して、それを無料公開している一派があったのではないか。picasaとか、docsとか、mapとか。

そうだ、googleに頼もう。

うっかり誤操作でスマホの写真を消しても、勝手にバックアップをとってくれていた会社である。しかも無料で(見たか、icloudフォトライブラリ)。

googleのタスク管理、google keep。

以前と違って、入力は安定しているし、タブ機能も充実している。

色分けをしておいて、後から色ごとに検索したり、配列を変えることもできる。リストも標準である。
・docsへのエクスポート機能
・無料
・デバイスを問わない。
・#は使えないが、タブを入力しようとすると、すでに設定したタブが表示されたり、新規入力ができる。(「#土日タスク」と「#土日にやっておく」が混在するようなことはない)
・リマインド機能も充実

リマインダー機能で時間になったら、教えてくれるのは当たり前。

一旦、「少し後で」などを入力してから、修正しないといけないが、
繰り返さない▶︎カスタム
1日ごと▶︎1週間ごと
曜日を選べば、月-金は顔を洗うことを忘れないように通知してくれる。(土日も洗えよ)

これで安心して、ほかのことに集中しすぎることができる。

手軽さに次いで、信頼できるのは、やはりリマインド機能だろう。


なぜなら、先月から、ずっと週末のたびに「wunderlistがなくなる。keep。ブログ記事」というkeepからのリマインド通知が出ていたからだ。
手書きのイラストで洗面器らしきものも描けた

2017年4月30日日曜日

レイシストは病気

ロンドンに行ったときのこと。

オープンテラスのカフェで店員にいった。

「アッシュ、トレイ、プリーズ(灰皿をください)」

店員は灰皿を持ってきたが、アジア系の若造にキングス・イングリッシュを教えてやる必要があると思ったのだろう。

テーブルに置く前に、何度か、子音も聞き取りやすい、王国の英語を繰り返してくれた。意味は通じたんだから、と思ったが、彼らにしてみれば、耳障りな発音は不快なのだろう。

自分が何かを語ると、言い終わる前に、否定する人と会うことがある。

「最近、疲れまして」

「そんなのは、疲れたうちに入らないよ」

「なかなか体重が減らなくて」

「昔から腹八分というだろう」

云々。

膏薬と屁理屈には、何にでもつくという俗諺はあまり好きではないが、説教臭い人と合うと、その月並みさが一周回っておかしくなってくる。

俗説に思い込みを重ねただけの、先入観どころか、本人の妄想でしかないのだが、本人はまるで自覚なく、聞きかじりの道徳観を延々と語る。

すごいなぁ。

少し大げさに頷いたり、関心してやると、ますます悦に入って話す。さっきのリフレインであることにも無自覚に。

人種差別の現場を目の当たりにしたことはない。

しかし人を見下している人ほど、そのことに無自覚である。

最初から犬を追い払うように接してくる人はいた。この人の中で、自分は野良犬同然なのだと思うと、なんだか可笑しくなってくる。

本人は人間のつもりなんだろうが、犬より頭が良くないといけないと思っているから、10分も話せば、ただの臆病者であることが露呈する。

七十年代以降、人種差別を否定する人たちは、こう言っていたらしい。

「自分は高い教育を受けたので、差別をするような蒙昧はない」

イデオロギーではなく、民主国家の主権者として当然だし一貫している。
だから、人を見下したり、差別を無自覚にしている人を見受けると、時々痛ましい気分になる。

高い教育プログラムを受ける機会がなかったのだ。病気を自覚する機会に恵まれなかったのだ。

太陽の周りを、この広い地球が回っているということが、理解できないのと同じように、人間が対等であるという事実を認識できないのだ。

この場に、ダライ・ラマがいたならどうだろう。

偉大な魂、マハートマー・ガーンディーがいたならどうだろう。

きっと優しく、相手に順を追って諭していたのではないだろうか。そういう人たちに対して、自分は到底足元に及ばない。

薄ら笑いを含んで、大げさに感心してみせ、小動物をなぶる猫のように、腹の中で嘲笑している。

人に本心を知られたくない。実に卑しい。

2017年4月29日土曜日

僧侶のモンク

真宗大谷派の職員2名に対して、残業代が二年間支払わず、660万円が支払われることになったというニュース。

(修行なのに?)

という声が意外と身近に多くて、驚いた。

二つ感じることがあった。

一つ目。雇用関係と師弟関係。

師僧と弟子の関係でいうなら、残業代など論外である。

師匠に絶対服従であるし、師匠に命を預ける覚悟でなければ、それは修行ではない。(この傾向はチベットのニンマ派でも強かったため、師匠=ラマを崇拝する=ラマ教などという、怪しげな呼称が最近まで使用された)

そして何よりも大事なのは、師匠はその全責任を負うということ。

弟子の不始末も、能力も、全て師匠の責任であり、弟子の将来においても、全て保証しないといけない。弟子が勝手にやりました、なんて論理は通じないのだ。

これほど、師弟関係とは本来、主従関係以上に濃密な関係であるため、近代知識人にはしばしば同性愛と錯覚されたこともあるくらいである。

ところが、今回の本山職員というのは雇用関係(厳密には法主との師弟関係であるが、職員は大人数であり、一人ずつの人生を保証するのは不可能)である。

そのため過酷な環境下で、労働を強いられることは、単なる奴隷制度でしかない。

そこに”修行だから”という自己犠牲を強いるのは、完全にブラック。

残念なことに、昔、他宗派の本山職員に何人か話を聞いたことが、大なり小なり、ブラックである。

今回、残業代という話題にフォーカスされて、基本給について何も語られないでいるが、実は基本給はもっと真っ黒なのだ。

二つ目。修行って何?

仏教とは、少なくとも、お釈迦さんが説いたことや、その精神を継承していること。それ以外のことは、仏教ではない。

「観光バスで来た、参拝者をお接待して、快適に過ごしてもらうよう、精進しなさい」

お釈迦さんがそういったとしたのだとしたら、それは立派な仏道修行である。

ところがお釈迦さんはそう説かれなかった。

人々を救うと、彼自身決意したが、お布施を貰って、本山を維持するために働けとは一切口にしていないのだ。

仏教民俗学の五来重は、寺院の歴史を語る際に、

「古代には荘園経済で成り立ち、近世は檀家経済で成り立ち、現代は観光経済でなりたっている」

と評した。

事実、信仰と観光は現代において、特に不即不離である。
逆にいうと、その程度のことである。およそ、精舎に集って、教えを聞き、瞑想するという、仏教的な修行とは程遠い。

延暦寺の回峰行を行う、行者は生死をかけて、人々の安穏を祈る。

にこやかに、老人たちを玄関先まで迎えて、本尊の前で聞き取りやすいよう、功徳の効能書きをマイクを使って、並べ立てて、朱印帳やお守りを売るのではない。

秘されて、密かに祈り、回向する。

こうしたことは一切、明らかにされなくていいし、されるべきではない。

全て明らかにされるべきなどという論は、近代人の思い上がりであり、ただの暴力である。

参拝者を案内するのが、修行だというのは、ブッダではなく、カール・マルクスの教えというべきだろう。

本当は、本山職員の二人だけではないだろう。

超ブラックな環境下で多くの、若い僧侶たちが自己犠牲を強いられた。

そして、そのことに気づかず、彼らの頰を札で叩くように、参拝していたのだとしたら、それはもう信仰ではない。

奇しくも、数日前、全国にある仏教寺院七万五千のうち、一万三千が不住(住職がおらず、他から兼任)という実態が報道された。

後継者不足ということは、二十年以上前から言われているが、これらは全て繋がっている。

全ての事象には因果関係があると説くのが仏教であるがゆえに、皮肉を感じずにはいられない。

2017年4月24日月曜日

訂正サンタさん

GHQがいなくなり、日本円を固定ではなく、変動相場制で取引をすることになった。

そのときに、一ドルを360円での取引がスタートであった。
このときの理由。

円は360度だから、360円にした。

というのは、嘘。俗説である。

変動相場制にする際の、一ドルで買える、金1オンスの値段が360円であったことを根拠にした。

しかし円が360度、という話題の方が頭に残る。

同様に、知識として仕入れていたが、実は偽物だった事実。

サンタクロースはなぜ、赤いコートを着ているのか。

コカ・コーラのポスターに、サンタが赤いコートを着たポスターが描かれた。

それが定着して、いつしかサンタは赤色コートを着るようになった、という話。

初めてきいたときに、なるほどと思った。

しかし、これも実は俗説。

白い雪に映えるので、赤いコートで描かれることが多い。コーラを飲んでいるサンタはレトロなイラストで見ることができるが、実はコーラよりも先に、赤いコートのサンタは多いのだ。

知ったつもりでも、実は誤植。何よりも、それが誤植であったことは忘れないようにしたいものである。

ちなみに、初期のルパン三世のジャケットが青いのは、スポンサーの浅田飴の色というのは、製作者が語っていた。

2017年4月16日日曜日

罪業なう: ロボット帝国の黎明

罪業なう: ロボット帝国の黎明: Amazonで本を買った。 すると画面上に案内が出る。お客様と同じものを購入された方は、他にもこんな書籍を購入されていますと、オススメが表示された。 読書など、気難しい嗜好をコンピューターごときが、そんなにほいほいと当てられてたまるものか。 そう思いつつも、覗いてみた...

ロボット帝国の黎明

Amazonで本を買った。

すると画面上に案内が出る。お客様と同じものを購入された方は、他にもこんな書籍を購入されていますと、オススメが表示された。

読書など、気難しい嗜好をコンピューターごときが、そんなにほいほいと当てられてたまるものか。

そう思いつつも、覗いてみた。

「あ!」

スピンオフの作品が出てるんや。同じ作家が、別のシリーズ書いてるんや。ううわ、そっちも買えば送料無料なんや。

ものの見事、引っかかってしまった。というか、丁寧なアドバイスをしてくれてありがとう気分であった。

昔、吉川英治の新平家物語を文庫で安く大人買いしてしまおうと、近くの古本屋のワゴンで見つけたことがある。

後半がないことを店長にいうと、頭をかきかき、こう言われた。

「そうなんですよ。山岡荘八の徳川家康なら、全巻揃いがありますが、どうですか?」
はあ? お前、読み比べたことあんのか。

同じ源頼朝でも、臨場感が全然ちゃうやろが。分かってんか、こいつ。

Amazonなど、webで買い物をするたびに、かゆいところに届くような表示に舌を巻く。そして、徳川家康をぼんやり進めてきた店長のことを、思い出して、むず痒くなる。

matrixの二作目だったか、こんな一節をキアヌ・リーブスにエージェント・スミスが言っていたと思う。

「人間は自由意志があるということに、満足したがるが、それは予め予測された範囲内で選択して、喜んでいるにすぎない」

そうなのだ。何でも、全て自由であると思い込んでいるようで、実際は限られた中から、チョイスしているのかもしれない。自由とはある種の幻想で、完全なる自由選択などなく、ある程度、予測ができた中の選択なのかもと。

コンピューターに支配された世界は恐ろしくて、人間の感情が虐げられると思っていた。(例の難解な2001年宇宙の旅のHALではなく、ターミネーターのイメージ)。

人間の自由意志は、コンピューターに見張られ、その支配に人類は屈するのだ。ダダン、ダンダ、ダン。ダダン、ダンダ、ダダン。チャラリー、チャアララー。

そんな未来で、クリスチャン・ベールに怖い顔されるから、銃をとって、人類は存亡をかけた戦いをコンピューターに挑むのだと思っていた。

しかしskynetより先に、siriが開発された。オトボケ回答を除けば、結構な精度で応答してくれる。楽しい。

本を買えば、ちょっと魅惑的な関連本を推薦してくれる。ポテトをすすめるよりも、ナイスなチョイスで。

ロボットと戦わないといけない社会を警戒していたが、実はとっくに人工知能との生活は始まっているのかもしれない。

siriにちょっとしたことを頼むときに、いつもそう思ってしまう。

すでにHALよりも、ちゃんと受け答えしてくれているではないか。「OK、google」と話しかけると、ちょっと凹んだ口調で応答してくるけど。

ロボット三原則を読み直すまでもなく、充分快適な関係は始まっているのではないだろうか。