Amazonで本を買った。
すると画面上に案内が出る。お客様と同じものを購入された方は、他にもこんな書籍を購入されていますと、オススメが表示された。
読書など、気難しい嗜好をコンピューターごときが、そんなにほいほいと当てられてたまるものか。
そう思いつつも、覗いてみた。
「あ!」
スピンオフの作品が出てるんや。同じ作家が、別のシリーズ書いてるんや。ううわ、そっちも買えば送料無料なんや。
ものの見事、引っかかってしまった。というか、丁寧なアドバイスをしてくれてありがとう気分であった。
昔、吉川英治の新平家物語を文庫で安く大人買いしてしまおうと、近くの古本屋のワゴンで見つけたことがある。
後半がないことを店長にいうと、頭をかきかき、こう言われた。
「そうなんですよ。山岡荘八の徳川家康なら、全巻揃いがありますが、どうですか?」
はあ? お前、読み比べたことあんのか。
同じ源頼朝でも、臨場感が全然ちゃうやろが。分かってんか、こいつ。
Amazonなど、webで買い物をするたびに、かゆいところに届くような表示に舌を巻く。そして、徳川家康をぼんやり進めてきた店長のことを、思い出して、むず痒くなる。
matrixの二作目だったか、こんな一節をキアヌ・リーブスにエージェント・スミスが言っていたと思う。
「人間は自由意志があるということに、満足したがるが、それは予め予測された範囲内で選択して、喜んでいるにすぎない」
そうなのだ。何でも、全て自由であると思い込んでいるようで、実際は限られた中から、チョイスしているのかもしれない。自由とはある種の幻想で、完全なる自由選択などなく、ある程度、予測ができた中の選択なのかもと。
コンピューターに支配された世界は恐ろしくて、人間の感情が虐げられると思っていた。(例の難解な2001年宇宙の旅のHALではなく、ターミネーターのイメージ)。
人間の自由意志は、コンピューターに見張られ、その支配に人類は屈するのだ。ダダン、ダンダ、ダン。ダダン、ダンダ、ダダン。チャラリー、チャアララー。
そんな未来で、クリスチャン・ベールに怖い顔されるから、銃をとって、人類は存亡をかけた戦いをコンピューターに挑むのだと思っていた。
しかしskynetより先に、siriが開発された。オトボケ回答を除けば、結構な精度で応答してくれる。楽しい。
本を買えば、ちょっと魅惑的な関連本を推薦してくれる。ポテトをすすめるよりも、ナイスなチョイスで。
ロボットと戦わないといけない社会を警戒していたが、実はとっくに人工知能との生活は始まっているのかもしれない。
siriにちょっとしたことを頼むときに、いつもそう思ってしまう。
すでにHALよりも、ちゃんと受け答えしてくれているではないか。「OK、google」と話しかけると、ちょっと凹んだ口調で応答してくるけど。
ロボット三原則を読み直すまでもなく、充分快適な関係は始まっているのではないだろうか。
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