2016年9月15日木曜日

大きなくしゃみの

口元は手で隠すが、ひどく大きな声を出して、くしゃみをする人をしばしば見受ける。

あるフリーライターの女性は、くしゃみが大きかった。

彼女が姿を消して、誰かが探しかけても、お手洗いからくしゃみが聞こえるので所在が分かったこともあった。小心なアルバイトの女の子は、彼女がくしゃみをするたびに、飛び上がって驚いていた。

なくて七癖というが、大きなくしゃみをする人は意外と自覚がない。

こちらも気にしなければいい。そうは思う。

ただ、図書館など静かな場所でそういう人に出くわすと、ものすごい存在感を見せる。当人の悪びれない様子がひときわ滑稽になる。

そういう時にふと思う。

こういう人と、盗みに入らないといけなくなったら、災難だろうなと。

まるで、ドリフのカトちゃんではないか。

そっと鍵を開けて、家主が寝てる部屋に忍び込み、枕元の棚に手を伸ばし、通帳と印鑑に息を殺して、そっと手を伸ばす。

その瞬間である。

「ひっくし!」

と力いっぱい、シャウトされるのだ。

いかりやならずとも、頭をはたきたくなるに違いない。

カトちゃんだから、笑えるのであって、彼以外が大きなくしゃみであれば、どうなるか。

よく考えてみた。

カトちゃんなみに、笑えるだけではないかと。

2016年9月13日火曜日

お腹周りの原材料

久しぶりにお替わりできる定食屋に。

おかずを半分残して、お替わり。残りの配分を考えてみたりと、充実の白ご飯ライフである。

隣に座った、かなり、どすこいな兄さんが、てんこ盛りの何かの唐揚げを前に、三度目のお替わりに立つ。おかず2対白ご飯8ぐらいのペースではないか。

お替わりの正体見たりお腹周り。

もうちょっと少なくしよっと。

2016年9月7日水曜日

十字架macbook

自分はmac book airのオーナーである。

周囲の羨望を余り几帳面に受け止めないことで、無駄なジェラシーを買わないように努めている。

mac book airを持っていると、マルチタスクにいろんなことができるし、ちっこいオフィスを持ち歩いている気分になる。

メールの確認? web検索? 書きかけのブログ記事の更新? ウェブクリップ? スケジュール追加? SNSのチェック?

それらを並行して、カンタンに終わらせることができるんです。

「そう、mac book airがあればね」

ただカミングアウトすると、ちょっと問題がある。

重い。

結構大きい15インチ。

バッテリは丁寧に、ほぼ毎月リフレッシュしているので、長持ちしている。だから、使い始めたら便利だが、使い始めることなく、疲れて帰宅してしまうと愕然としてしまう。

シグマリオンや、リブレットすら重いと感じていたのに、何をしているのだと。

ジョブズが封筒から取り出した時は、確かにびっくりしたが、彼はカバンにいれて長時間移動していなかったはずである。

OSXは快適だが、iosは信じない派であるが故の十字架である。

airより、もっと軽いmacbookは出ないものだろうか。そんなことをずっと期待していたら、CMが流れてきた。

ペン付き、i-pad pro。

保守的なごりごりなmacファンは一体どこにいったんだ。この憤懣を代弁してくれるんではないのか。

2016年9月2日金曜日

果てしなく長かったストーリー

エンデの『果てしない物語』がgoogleのロゴ(Doodle)になっていた。

出版37年のお祝いとか。

原作も図書館でなかなか借りられなかったりしたものである。

シンセサイザーに乗せた幻想的なテーマ曲、スターウォーズ以来のド派手な特殊効果(ふわふわのファルコはクレイアニメじゃない!)。

何よりもリフレインするタイトルが良かった。

原作を借りたものの、途中から映画と異なり、どんどん面倒くさくなって、挫折したのを覚えている。

「後半は本の世界に入ってしまったバスチアンが、自分の名前すら忘れてしまう話であって、映画みたいにいじめっ子をやっつけるようなオチとは無関係」

したり顔で友人に言われた。

ああ、そうなんや。なんか、難しそうやね。

テーマがいい。セリフがいい。ストーリーがいい。などなど、したり顔で語る人も見た事がある。

ううん、ますます気後れ。その点では『モモ』はごちゃごちゃ説教してなくて、楽しく読めた。エンデ・ファンにバカにされるんやろなぁ。

映画派を小馬鹿にする原作派。やっぱり感じ悪い。(のちに指輪物語でも同様のことを感じる)

いじめられた子供が、空想の世界で気持ちをリフレッシュして、現実に戻ってくる。映画のように、それだけの話でもいいではないかとも思ってしまう。リアルの世界だと、引きこもってしまう子供も多いのだから。(そこか?)

『果てしない物語』のハードカバー版は、現実のシーンと、空想世界のシーンでは文字の色が違う二色刷り。

大人になって気がついたが、それがどんだけ印刷会社にとって面倒臭いことか愕然とした。ページの途中で場面が変わるのだ。もちろん一枚ずつ印刷しているわけではないので、多ページのどこと、どこで色が変わるのか、全部管理しないといけない。

面倒臭いな。。。

そこまで苦労したのに、自分はブックオフで安く買ってしまった。

大人になると、素直にファンタジーの世界には入れなくなってしまう。

印刷コストへの敬意と、それを正当に評価しなかったような贖罪感。でも羨望。そしてあんまり先に進めない徒労感。

果てしない読書時間は、まだまだ続く。。。

2016年8月28日日曜日

依頼された盗撮写真

どうしても経済的に支援したいという、見ず知らずの女性から、メールが届く。

他にも申し出をいただいているので、丁重にお断りしようと思うが、返信の文面を悩んでいるうちに、次々同様に届く。モテ期がやっと来たのに、仕事で忙しいとは、なんたるザマか。

今度は変わったメールが届く。

ご家族に依頼されて、あなたの行動を撮影させてもらった。

消去するのに、費用が発生するというのだ。

さてはブックオフで浪費したところを撮られたか。アイスを一日に三本も食べてしまったことを撮影されたか。

しかしふと思った。

コストかかりすぎやろ。

無駄な出費については手厳しい両親が、わざわざ探偵みたいなのに費用を払ってまで撮影させるなんて。そんな金あるなら、くれ。

手口が雑だと、がっかりしてしまう。

スパムメールはコストがかからないというのが、送信側のメリットらしい。

一万円を偽造するのに、一万円以上かかっては、犯罪として失敗である。反社会的勢力ほど、コスト意識は厳しいらしい。

印刷会社もかつてはダイレクトメールの受注があったが、今や閑古鳥だという。なぜなら、電子メールで代用してしまうと、格段にコストが低く押さえられるからだ。

うっかり騙される方が悪いというのは、子供でも分かる理屈だ。

しかし巧妙に騙されるのだとしたら、どういうことだろうか。示談金でもなく、還付金でもなく、投資話でもなく、ましてや下半身でもなく、新しいmacbookairの格安販売ですらない方法で、自分が騙されるとしたらどんな方法があるのだろうか。

兄弟が海外旅行した時に、SNSで連絡をしてきた。

トラブルに巻き込まれて、送金してほしい旨のメールが届くかもしれないが、無視しろと。無事だと。

言われてから、よくよくみると、確かに本人名義で、それらしいメールが来ていた。ただし英語。

ううん、ちょっとイラッとする。

騙すにしても、翻訳しないなんて、騙すにしても、不親切ではないか。手口が雑。

2016年8月10日水曜日

メタルなど愛していない

音楽を楽しめるといいだろうなと思う。

ヘヴィ・メタルの音楽をよく聞くが、本当は好きではない。

ミニスカートの女の子が腰を振るような、ポップソングだけを聞いていられたら、どれだけ気が楽だろうと思う。

その反面、いざポップソングを聞いているとうんざりする。

メタルをかけると、楽しくなってしまう。集中力が高まり、高揚する。

老婆の娼婦に金を払い続ける男。そういう歌詞の曲もある。聞きながら、自分がメタルというジャンルのぬかるみにはまり込んでいることに気がついた。

まさに老婆の娼婦に払うとは、こんな気分ではないかと、ぞっとした。

無論、悪趣味なことを誇るような、偽悪な楽しみ方はいただけない。

本当はメタルが嫌いだし、メタルがない人生がいかに明るく充実したものになるのか、想像すると、羨ましくて仕方がない。

だからメタルのファッションをしている人とは、全然会話が弾まないだろう。

好きでもないメタルに、捕らわれた人間と、メタルが大好きな人の違いである。

できたらメタルは聞きたくない。グロテスクなパフォーマンスに、不気味な音律。

悪趣味だし、不健全、不愉快、不衛生である。そう分かっているのに、聞かずにはおられない。ああ、寝苦しい。

衣装やメイクの割に、おしゃれポップの代名詞の人たち

2016年6月16日木曜日

若い犯罪者に腹が立つ

三面記事を目にしてしまう。

交際相手の女性を殺害した加害者が死刑を宣告されたとかなんとか。

正義感でもなんでもなく、心底イラっとする。

若く、努力すればいくらでも、道が開けただろうに、もっとたくさんいろんなことができただろうに。何か世の中を動かすことができただろうに。

そういうことを思うと、短絡的で自らの可能性を,むざむざ踏みつけにしている自傷行為の甘さに腹が立つ。

「一億円宝くじで当たったから、一万円で尻を拭いてみた」

そんな人間がいたら、誰だって怒るだろう。無神経で、低俗で、軽薄だ。

交際相手に振られることはショックだろう。しかしその苦痛も、生きている証拠ではないか。らくらくと、女性にちやほや愛されて、生きていけるのが、充実した生だとでもいうのか。

その甘ったるさにも腹が立つ。

惨めさの真ん中で、惨めになって生き抜いていくのも生ではないか。

苦しみに囲まれて、逃げ出しようがなく、苦しみぬくのも生ではないか。

安穏と、膝の上に抱かれて、ぬくぬくと生きながらえることが生だとでもいうのか。

惨めなことも生ではないか。

その覚悟のなさに、思い返して、やっぱり腹が立つ。

混んだ電車の中で、平然と足を組んでいる若者に腹が立つのとは、桁違いに腹が立つ。

おじいになっていく証拠だろうか。