自分だけが雨をよけられるように、折りたためる屋根を棒で支えて歩く男がいた。
その貧相な様子をみて、みんな笑った。自分だけが上からの雨をよけても、どうせ足元は濡れるだろうにと。
しかし折りたためる屋根は、この後、普及し、一般的になる。現代の傘だ。
日本でインターネットが流行し始めた頃。
コンビニの端末で、色んなチケットが購入できるようになった。先輩の好きな、タレントのコンサートにも行けるといくら説明しても、理解してもらえなかった。買ってみせて、それでも最後まで半信半疑であった。
折りたたみ屋根ではなく、傘がある。窓口販売だけではなく、コンビニ支払い。
社会のあり方はいくらでも変わる。そのことを認識できるか否かは、空間認識によるのだと、文化人類学ではいうらしい。
つまり直接、知覚できない存在(テレビカメラを担いでいる人、インターネットを介してチケットを配送する人)を、想像できるかどうか。
その人の人格や、習慣など、関係ない。想像して、認識できるかどうか。
傘やコンビニ決済が便利だと思えるか、思えないか。
はっきりいって、主観の世界である。
昔、パソコンに詳しいなら、教えてくれと年配の出入り業者にせがまれて、フリーメールやFirefox、openofficeについて説明した。
しばらくして、彼はプロバイダのドメインメールとIE以外の使い方は覚えきれないし、wordが高くついたことをぼやいた。説明は何一つ通じていなかった。
逆にmacproを愛用し、3Dcadを使いこなすデザイナーが、wordが高いとぼやいていたので、libraofficeを説明すると、感激された。
必要だと思っている人には通じるのだ。
必要だと思っていない人に、何を説明しても、通じない。自分だってきっと聞こえていないのだろう。
何かヒントを思いついて、提案することはあるが、決して固執しない。
いくら説明したところで、本人が必要としているものと、間違いなく別物だからだ。
傘やコンビニ決済、openofficeの利便性を必要としない人だっているのだ。むしろそれが便利だから、全ての人が理解するべきだと思うこと自体が、単に共感の強要にすぎない。
ばかばかしい。
役に立とうとは思わない。どうせ役には立てないという自覚がある。その程度のことしか、自分にはできない。
誠心誠意、誰かのお役に立ってみたい? 保険の営業マンではないのだ。自分のような人間には手に余る。
いや、多分、役に立たない結果になるだけだ。
乗合馬車なんて、今から考えたら、ただの動物虐待にしか見えない。 |
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