「リアルな恐竜の動きを再現って書いてあった。リアルって、何?って思った」
臨場感。実在性。それらを実現しているから、そこにさも、恐竜がいるかのような。。。
応答しかけて、さえぎられる。
「恐竜を目の当たりにしてないのに、何でそれが臨場感あるとか、分かる?」
なぁるほど。それがリアルかどうかは、人類には知る由もないのだ。だから、「リアルな動き」が「再現」できたかどうかは、不明であり、決して断言できるものではないと。
なるほど。正確には、イメージに近いものを再現した、というべきなのだろう。もちろん、製品のコピーとしては、全然魅力的ではないが。
そこまで正確に書くことが、大事かどうか、ではない。
正確さを理解したうえで、不正確な表現しか許されないとするなら、どこまでが許されるのだろうかと、立ち止まることが一番大事。
そんな話を、その場で聞いたような気がする。
自覚できているか、できていないかという違いである。
しかし、そういうことが気になり始めると、いくらでも気になる。日常生活に支障をきたす。
だから結果として、意識すべきときに、意識できるように、心がけて、そのスイッチは常時接続にはしていないようにする。
だが、どうしても、気になる言葉がある。
「もっとも、有名な日本人の一人」
もっとも=一番。
~の一人=複数あるなかの、一人。
気になる。矛盾が気になる。
恐竜の骨は古代から発掘され、中国では竜の力を得る薬と珍重されたとか。 |
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