2015年5月5日火曜日

マシュマロテスト

ちょっと我慢と幸福の因果関係

篠田正浩監督作品『瀬戸内少年野球団』の中で、島田紳助演じるチンピラまがいの男が、教室で子供たちをたぶらかす。それに教師の夏目雅子が怒ると、男はこう言って反論する。

「欲しがりません勝つまでは、ですか? いけませんなぁ。これからは、欲しがります、貰うまでは、でないと」

わがままであり、エゴイズムこそが根源的な欲望する、最上の手段なのだ。我慢しても、何もいいことはない。そんな気分にさせられる。

道徳と衝動という対比ではない。単に、理性と本能が並存していていても、本能を重視すればいいという考え方。(考えですらない。捕らえ方)

我慢している人が、できもしないやせ我慢をしているという無力さ。

そんな対比について、自己啓発めいたものは、しばしば本能や欲求を手放しで助長する。

ところが、心理学で分かったことがある。

マシュマロ・テストと呼ばれるものだ。

子供に、マシュマロを一つあげて、20分食べずに我慢したら、もう一つ上げるという。

ここでマシュマロを我慢した子供と、我慢できなかった子供。それぞれを30年間追いかけた結果、一つの結論が出たという。

我慢した子供は、経済的にも、精神的にも恵まれた環境にあり、我慢できなかった子供は、そのどちらかに問題を抱えていることになったというのだ。

何のことはない。ただの自制心の問題である。道徳的や禁欲的であることかどうか、ではない。

理性を使って、時に我慢することができることで、結果的に大きな収穫を得ることができる。

我慢すればいいことがある、などと、スケベな先物取引みたいなことをいってはいけない。

理性的であることも、時には必要である。なぜなら、それが幸せになるための手段だからだ、程度の教訓である。

イデオロギーとは関係ない。資本主義が万能ではないし、社会主義も万能ではない。所詮は社会システムの違いである。

ただ欲望こそ正義、経済活動こそ究極目標というのは、決して幸福には関係ないことは事実だろう。

ちょっと我慢するスキル。まさに人間臭いスキルであり、そこにこそ、葛藤があり、はじめて苦しみもある。

苦しみから逃げ回ることさえ止めれば、苦しみの延焼は静まり、やっと意味がついてくる。

ちょっと我慢するとは、そういうことなのではないか。

お菓子のお家ときいて、(なんか、食いモンおもちゃにしてるなぁ)とか思っていた。


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