2014年11月20日木曜日

小見出しの効用

テキストもデザインの印象

  コピー書きの仕事をしていたときのこと。

 もっとたくさん、文字があるほうが、お得感があるから、もっとテキストでブロックを埋めてほしいとしばしば、あんぽんたんなディレクターに言われた。ライター同士でよく失笑していた。

 つまりお得感とは、感覚であって、それっぽいだけのこと。情報価値を高めるのではなく、情報価値が高いように見せる演出に過ぎないこと。コンビニ弁当の平べったいのとか、CM前の大げさな引っ張りみたいのとかみたいな。

  そこに何が書かれてあるか? ではなくて、どんな風に印刷されているのか、が問題になったとき、論点は中身より見た目にすり替わっている。そこにフォーカスしていった結果、情報誌と呼ばれる雑誌媒体のほとんどは、リクルートの広告媒体にたちまち駆逐されていった。

 「いちびり」。軽薄で、調子にのった人や、その言動。

 まさに、情報誌のディレクションはいちびりやったのではないか。

広告に荘重さはいらない

仕事で、ある会社のチラシを資料としてみることがあった。

 A4の一色なのに、二段組で、文字も小さく、ほとんど改行がない。びっしりと書かれたテキストに目を凝らすと、結構フランクな口調で読みやすさを強調していた。

 製作経緯を想像するに難くない。ああだこうだと、意見を集めて、情報を沢山盛り込んだ上に、楽しく親しみある文体にしようと誰かが言い出す。そうですよねぇ。じゃあ、こんな言い方どうですか? いいねぇ。さすが国文学部。。。みたいなくだりを想像してしまう。

 しかし読み終わって、結局ほとんど頭に入ってこなかった。いや、要約すれば二行にも満たない内容であった。

 だが、きっと作った人たちは大満足だったのだろう。何週間も前に用意したり、土日に出勤して、文面を遅くまで読み返す人がいたり。

 彼らは思ったに違いない。客が読みやすいかって? そんなのあとにしろ、と。

 ううん、いちびっとったら、いかんぞ。

ブログを書こうとする反面

何か面白いことを書こうとか、楽しませるようなものを実現しようと、考えあぐねて、しばしば放置してしまう。

 これもこれで、結局いちびっている。

 見た目にこだわって、読み手に大した情報を提供できない情報誌や、企業の広告。

 読み手よりも、自身の虚栄心を優先して書けないでいるブログ。

 どちらも似たようなものなのかもしれない。唯一救いは、ブログには小見出しをつけて、読みやすくできることぐらいか。

 本質はなんなのか。

 コミュニケーションである以上、時に失敗してでも、もっとシンプルであるべきなのではないか。そんな自戒をふと思った。

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