テキストもデザインの印象
コピー書きの仕事をしていたときのこと。もっとたくさん、文字があるほうが、お得感があるから、もっとテキストでブロックを埋めてほしいとしばしば、あんぽんたんなディレクターに言われた。ライター同士でよく失笑していた。
つまりお得感とは、感覚であって、それっぽいだけのこと。情報価値を高めるのではなく、情報価値が高いように見せる演出に過ぎないこと。コンビニ弁当の平べったいのとか、CM前の大げさな引っ張りみたいのとかみたいな。
そこに何が書かれてあるか? ではなくて、どんな風に印刷されているのか、が問題になったとき、論点は中身より見た目にすり替わっている。そこにフォーカスしていった結果、情報誌と呼ばれる雑誌媒体のほとんどは、リクルートの広告媒体にたちまち駆逐されていった。
「いちびり」。軽薄で、調子にのった人や、その言動。
まさに、情報誌のディレクションはいちびりやったのではないか。
広告に荘重さはいらない
仕事で、ある会社のチラシを資料としてみることがあった。A4の一色なのに、二段組で、文字も小さく、ほとんど改行がない。びっしりと書かれたテキストに目を凝らすと、結構フランクな口調で読みやすさを強調していた。
製作経緯を想像するに難くない。ああだこうだと、意見を集めて、情報を沢山盛り込んだ上に、楽しく親しみある文体にしようと誰かが言い出す。そうですよねぇ。じゃあ、こんな言い方どうですか? いいねぇ。さすが国文学部。。。みたいなくだりを想像してしまう。
しかし読み終わって、結局ほとんど頭に入ってこなかった。いや、要約すれば二行にも満たない内容であった。
だが、きっと作った人たちは大満足だったのだろう。何週間も前に用意したり、土日に出勤して、文面を遅くまで読み返す人がいたり。
彼らは思ったに違いない。客が読みやすいかって? そんなのあとにしろ、と。
ううん、いちびっとったら、いかんぞ。
ブログを書こうとする反面
何か面白いことを書こうとか、楽しませるようなものを実現しようと、考えあぐねて、しばしば放置してしまう。これもこれで、結局いちびっている。
見た目にこだわって、読み手に大した情報を提供できない情報誌や、企業の広告。
読み手よりも、自身の虚栄心を優先して書けないでいるブログ。
どちらも似たようなものなのかもしれない。唯一救いは、ブログには小見出しをつけて、読みやすくできることぐらいか。
本質はなんなのか。
コミュニケーションである以上、時に失敗してでも、もっとシンプルであるべきなのではないか。そんな自戒をふと思った。
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