祖山で仕事をしていたときのこと。
夏場、山内の数少ないコンビニに、急激に、まるで降って湧いたような人だかりがレジに並ぶ。
大量に団体参拝があったのかと思ったが、そのほとんどがネクタイ姿である。会社の研修にしては、結構年配の男性たちばかりであった。
取材先から帰ってきた先輩が教えてくれた。
「人権教育の研修だね」
人権を教育する立場の教員たちが、研修として祖山を選ぶなのだとか。
夏休みの大学校舎を使って、研修をするのだ。
そこで講義を受けたり、質疑をしたり、議論を重ねるのかと思いきや、冒頭の挨拶のあとは、みな自由解散。
参加者ー受講者=山内お散歩。
山内お散歩するのは多いに結構である。避暑地としても名高いではないか。
だが、である。
人権を学ぶ機会を踏みつけにして、山内の喫茶店で談笑したり、うたた寝をしていたのだとしたら、どうだ。
怠けることもあるだろう。人間だもの。
だが、しかし、である。
人権を口にして、人間の生存のなんたるかを考えもしないで、テキトーに口頭でガキどもをだまくらかせばいいのだとしたら、三つ冒涜である。
未来ある生徒への冒涜。人権という近代の叡智への冒涜。そして自身の人権に対する冒涜である。
こっちは痛くもかゆくもない。人権派を標榜する連中のことを、これからもシラフでは聞かないだけのことである。あほんだらが。
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