編集の仕事をしていた時のこと。
同業の人が、大手の気難しいクライアントに嫌われて出入りできなくなっていたのを見た。上司と彼が話したあと、上司が教えてくれた。
クライアントの担当者が彼に言った。
「冊子の判型を小さくするから、値段を安くしろ」
聞けば、従来A4サイズだったものをB5サイズに小さくする。その分、印刷代を安くしろというのだ。
無茶言うなぁ。用紙の価格から言っても、大差はない。印刷機にいたっては、同じである。
そればかりか、小さくなった分、情報量が少なくなってしまう。
本来、用途によって、判型を分けるべきなのだが、頓珍漢なクライアントはそれを理解できなかった。
あんぽんたんをてなづけるのは至難の技である。
論理的に整合性が取れている、矛盾点がないといった意味を表現する時の、日本語の慣用句は「道理で」である。
仏教用語であり、論理的に正解であることを指すから、正しい使い方である。
この「道理で」というのは、日本の近代的社会システムや工業製品の発展に、多いに貢献した。
筋道が正しく、整合性が取れていることは、正解であり、それを否定することは、不正解であり、不条理であり、恥であるという意識が育った。
もちろん、先の判型については、非論理的である。いわば紙を小さく斬れば、内容が凝縮されるのだと主張しているような、支離滅裂さである。
紙が小さいからといって、値段が下がるとしても、小銭程度。印刷や加工に至っては同じである。
そういう説明をしても、まるで通じないのだ。論理的ではない。
保守的で、日本文化や伝統だのと口にするクライアントではあったが、”伝統的な”フレーズ「道理で」については、まるで通じないのだ。
”日本文化”が聞いてあきれる。
だから、愛国を口にしたり、伝統だの、文化だのと口にする人を、今一つ信用する気になれない。不寛容で、横柄で、大体において勉強不足だからだ。
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