2018年8月29日水曜日

廃業の贖罪

足繁く通っていたわけではないのに、覚えに行っていた店が閉店すると、贖罪意識が働く。

もっと足繁く通うべきではなかったか。味が単調ではないかとか、時々バイキングのデザートに規格外の酸味があったよとか。

都市部に住んでいると、立地がいいだけの店をよく見かける。客には製品やサービスではなく、賃料を払わせているようなもので、品質は粗悪極まりない。

それに対して、一生懸命、創意工夫をしている飲食店が閉店するのをいくつも見てきた。

どうしたよかったのだろう。どうすべきだったのだろう。次から、どうしたらいいのだろうか。

結局、何も結論を出すに至っていない。

最終的には、自分の責任ではないと割り切るしかない。自分が失敗したときのように、経営者は経済的に苦境に立たされるだろう。

それは決して、客の一人がどうこうできる問題ではなかったのだ。

いわば運命であったのではないか。そう思うことでしか、折り合いがつかない。

納得など、まるでできないが、折り合いをつけることで、贖罪意識から逃れるよう努めている。

だからといって、新しい店に移り気に次々とたずねるようにことはできない。

やっと気に入ったところを、見つけたとしても、またそこが閉店になるのかと思うと、気が重い。

気楽に食事をしようとして、こんな有様である。

やだなぁ。。。

とりとめないので、聞いた話。

ビートたけしがラジオ番組で、飲食店を紹介することになった。

番組内で紹介した合言葉をいうと、お会計時に割引になるというキャンペーンをするというのだ。

では、合言葉は何にしましょうかと問われて、彼は応えた。

「合言葉は『この店、食中毒事件起こしたんだって? もう大丈夫なの?』」

悪ふざけにも、ほどがある。これで潰れた店もあるのではないかと想像すると、いたたまれないような、バカバカしいような。

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