足繁く通っていたわけではないのに、覚えに行っていた店が閉店すると、贖罪意識が働く。
もっと足繁く通うべきではなかったか。味が単調ではないかとか、時々バイキングのデザートに規格外の酸味があったよとか。
都市部に住んでいると、立地がいいだけの店をよく見かける。客には製品やサービスではなく、賃料を払わせているようなもので、品質は粗悪極まりない。
それに対して、一生懸命、創意工夫をしている飲食店が閉店するのをいくつも見てきた。
どうしたよかったのだろう。どうすべきだったのだろう。次から、どうしたらいいのだろうか。
結局、何も結論を出すに至っていない。
最終的には、自分の責任ではないと割り切るしかない。自分が失敗したときのように、経営者は経済的に苦境に立たされるだろう。
それは決して、客の一人がどうこうできる問題ではなかったのだ。
いわば運命であったのではないか。そう思うことでしか、折り合いがつかない。
納得など、まるでできないが、折り合いをつけることで、贖罪意識から逃れるよう努めている。
だからといって、新しい店に移り気に次々とたずねるようにことはできない。
やっと気に入ったところを、見つけたとしても、またそこが閉店になるのかと思うと、気が重い。
気楽に食事をしようとして、こんな有様である。
やだなぁ。。。
とりとめないので、聞いた話。
ビートたけしがラジオ番組で、飲食店を紹介することになった。
番組内で紹介した合言葉をいうと、お会計時に割引になるというキャンペーンをするというのだ。
では、合言葉は何にしましょうかと問われて、彼は応えた。
「合言葉は『この店、食中毒事件起こしたんだって? もう大丈夫なの?』」
悪ふざけにも、ほどがある。これで潰れた店もあるのではないかと想像すると、いたたまれないような、バカバカしいような。
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