2018年8月28日火曜日

記事がかぶる

酒の場で、同じことをリフレインしたり、朝礼で同じことをぐるぐると語ってしまう人。

酩酊している人が、同じ話題をリフレインしているのは当然である。

しかしシラフで、同じ話を堂々巡りしているのはいただけない。発した端から、記憶が飛んでいるのでないか。そんな気がしてくる。

ブログ記事として、あれこれと書いている時に、実は似た経験をする。

ふと思いついたことを、メモにして、テキストを小一時間書いた挙句、そっくりの内容を過去の記事から見つけてしまう。

書籍を制作するのなら、こうした時に、編集者がしっかり監督してくれる。

ところが、素人でのんびり書いていると、こういうことは起こり得る。

電子書籍は誰でも自由に自己表現ができる、編集者がピンハネしない、自由なものであるとか、浮ついたことを語る人がいたが、随分である。こうした監修者を持つがゆえに、製品の品質が担保されるのだ。

逆にいうと、無料で公開しているブログはそうしたものではないのだろうか。

たまに古本市で、結構な同人雑誌が並んでいたりするが、奥付をみると、出版元は小金持ちの住む街の住所である。随筆と称しているが、内容たるや今のブログ記事程度でしかない。

それが個人単位で気楽に作れるようになったのは、ブログの最大の魅力ではないか。

気楽にできるから、気楽にやめられる。だから、手軽さのせいで、内容が被ったりするのではないだろうか。

まあ、ダ・ヴィンチコードも他の作品とかぶることがあるのだから、ご愛嬌ではないか。いいすぎか。

と、ここで書いてきて、不安になる。

こうした話題すらも、実は先に書いていたのではないかと。

(大丈夫。電子書籍の件は書いた記憶がないぞ)

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