2017年7月30日日曜日

善意の恐喝

帰阪に、品川から新幹線に乗りこむ。

新大阪行きを選んだので、到着まで車内で熟睡できると思って安心していた。

三列席の窓側なので、先に通路側に座っていた老婆に詫びて通してもらう。

通してくれながら、東京から乗ったらしく、彼女は手にしていた新幹線の切符を見せてくる。

自分が間違えた列車に乗っていないかと尋ねてくる。

正解だったので、そう答えて、早々に寝る態勢に。

充電よし。耳栓よし。掛け布団代わりにスーツよし。ペッドボトルのお茶よし。

しかし彼女は、大声で何やら独り言をいい、目的地の地図を広げていた。

この手のシニアたちによる、善意強制という暴力は苦手である。

自分で何一つ考えないで、鼻声でごねれば、現地まで案内してくれると思っているのだろうか。

まるで肉を切り分けてくれるのを待っている子供だ。

子供が相手なら、こづいたろうかと思うが、シニアにはそうはいかない。聞こえていないふりをするしかない。

こういう人たちは他人に善意を強制するくせに、その善意に対してひどく無神経なのだ。手に乗せれば、肩に乗る。肩に乗せれば、頭に乗る。その手合だ。

大きな図書館の閲覧テーブルで、同様のことを見た記憶がある。

人の良さそうな女性の隣で、恰幅のいいおじいさんが延々と注文して、自分では何一つ調べようとしない。身内かというと、そうでもないらしく、彼女は涙目で窓口を往復して細かに報告していた。

自分が怠けものであることを棚にあげて、平気で他人の善意にのしかかるのだ。

以下、残酷な言い方をする。

海馬は快不快を検知し反応を促す。オシメが濡れて気持ち悪い。お布団あったかい。このレベルの判断である。

そのうえに小脳がある。食欲や生存欲を司る。

そしてその上の、大脳新皮質が理性や社会性を司る。いわばもっとも、他の動物と人間の違いを司るところだ。通称・人間の脳。

老化によって最初にやられるのは、ここだ。

加齢とともに、人格が丸くなるというのは、幻想であり、願望でしかない。物事に執着しないように見えているが、外部情報が不鮮明になっており、そのことに自覚がないだけ。

実際は結構な確率で、その期待は外れてきた。

原曲は、人間らしさが失われていくのではないか。

それも本人の自覚なく。

だとしたら、人間が生きるとはなんと残酷で、おぞましいことなのか。生き続けた挙句、人間らしさを喪失するなんて。

神が作ったとしたなら、この欠陥はなんだ。

彼の愛や、計画はやはり測りがたい。

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