2016年10月24日月曜日

少年探偵団を電車で読む

ずっと以前の職場で、年配の上司が語っていた。

「高度経済成長期の後だったが、スポーツ新聞を電車の中で読んでると、見ず知らずの年上の人に怒られたもんだ」

次の駅で降ろされた挙句、(公共の場で、大の大人が野球や相撲、お馬さんの情報を貪り読むとは恥ずかしくないのか)という叱責であったという。

概して日本人のモラルや公共心の高さは、評価される。それこうした老紳士の叱責が原動力だったのかもしれない。

某日、筑摩の世界の名著でキルケゴールを安く見つけた。待ちきれず、電車の中で開く。

もともと高校生向けに編纂されたのか、このシリーズ。分かりやすいと定評だったらしいが、一向に頭に入ってこない。絶望が死に至るというオチは知っているが、全然内容が分からない。

電車を降りる間際に、本をチラチラ覗き込んでいたおっちゃんがいう。

「難しいのを読んでるな」

一瞬、厭味かと思った。顔を見ると感心した顔だった。余計にイラっとした。

某日、これまた安く買った乱歩の少年探偵団シリーズを車中でこっそり開く。小林少年が例によって潜入するシーンで盛り上がる。

目的地の駅で降りても、幸い、誰にも怒られなかった。

いや、読んでいるものに、おっぱいが印刷されていない限り、怒られないのではないか? いや、印刷されていても、怒られないのではないか。

2016年10月23日日曜日

単音表記の奇抜なアイデア

脳科学者の茂木健一郎さんがどこかで書いていたように思う。

朝、起きて、一番にすることは、ブログの記事を更新することなのだとか。

朝は頭が起ききっていないから、実は創造的な脳もリブートした直後。

だから理性的、論理的な機能が十分に起ききっていないから、クリエイティブな頭脳が働きやすいというのだ。

なるほどなぁ。

そう思って、早朝に目覚めたメモを、二度寝したあと、朝一番に読み直す。

「ピーヒョロリロピーポッポ、ピーヒョロリロピーポッポ、フリーダイヤルでお繋ぎしております 。ピーヒョロリロ、ピーヒョロリロ、ピーヒョロリロリー」

書いている時は、ものすごいアイデアだと思った。あの単音をカタカナで表現できるなんて。

はて。

何が、面白いのだろう。。。

2016年10月21日金曜日

サゲがっかりコラム

ブログ記事を見ていて面白い記事にたまに出くわす。

今後十年後になくなる職業とは、なんなのだろうかというような内容だった。

産業革命じゃあるまいし、そうそう簡単になくなったりすることがあるのか。

そう思っていたが、確かに記事の通りのことがあった。

コンビニより多くなった整体師や歯医者は、供給過多になって利益を確保できなくなっているという。友人もがんばって整体師の資格を取ったのに、給料が驚く低くて転職した話をきいた。

製造業もどんどん機械化していくという。

印刷も圧倒的にオンデマンド印刷の品質が良くなっている。

ダイレクトメールの受注が激減して、それを短納期で作ることを自負していても、今やなんの価値もないのだ。

なるほどと思える分析で、オチが気になった。

その気になるオチは、

『ウェブが主流なので、ウェブライターは儲かる。詳しくはこちら』。

えええ? 単なる広告?

二十代三十代の頃、アフィリエイトで生活できるようなことを盛んに言われた。新しい働き方だとか、なんとか。

しかしsnsが出てきて、自前メディアを立ち上げる必要がなく、サイト構築に詳しくなくても、情報は発信できるようになった。

さらに企業はsnsで収益が上がらないとわかると、販売してくれる国産やアメリカ資本のサイトに売り込んだ。結局使用者のレビューが広告になった。

アフィリエイトで稼ぐなんて、夢のまた夢である。

結局、アフィリエイトを語る人のビジネスは、アフィリエイトを語るセミナービジネスにあっという間に変化してしまった。

要するにぱちもんやった。

それを助長するようなウェブライター講座。

いやいや、最初になくなるのは、ウェブライター講座ちゃうんか。

春風亭小朝さんが自身の座右の銘を、どこかで語っていたのを覚えている。

「やる人はやる。やらない人は語る」

2016年10月11日火曜日

ニュートン

駅の売店で科学雑誌『ニュートン』を販売しているのを見ると、いつも落ち着かない。購入しようかと、いつもざわざわする。

学研と科学を、購読していたが、ニュートンがいかに素晴らしいか、聞かされてきたからだ。

二色刷りの図書館の本と違い、カラーで天体や、科学反応について教えてくれるのだ。素晴らしい。というか、素晴らしいのだろうと、当時は思った。

とぼけたペンギンとお姉さんとか、キャラなしに、テキストだけを延々読まされるのだ。とりあえず3行目まで読んだのに、内容がさっぱり入ってこない。

しかし大人になって、電車の吊り広告を見ると、キャッチに目を奪われる。

「相対性理論のすべて」

「よくわかるビッグバン」

物理に全然興味なかったが、一冊でわかるのだとしたら、はるかにお値打ちなような気がしてしまう。

それより何よりも、小学校時代に結局、科学雑誌を読みこなせなかったことへの贖罪意識がある。

あの時、科学雑誌を読んでいれば、レーザー工学やら宇宙開発やらの仕事をして、スカイプでNASAのスタッフと冗談を言いながら仕事をしていたのだろうか。並行世界の向こう側の自分は宇宙飛行士なんだろうか(なんか、変なこと言いだしたで)。

科学は苦手。科学なんて自分の人生に必要ない。

そう避けて通るのも、なんかもったいないと思う、浅ましい年齢になってきた。

2016年10月10日月曜日

作務

片付けるのがうまくない。どうせなら、効率よくまとめてやろうと、早い段階で決意して、遅くなってもそのタイミングが見えずに途方に暮れる人間である。

心理テストの話題をサイトでみた。

散らかった部屋で生活させ、パソコンの周りも片付けることを禁止されたグループと、整理整頓を義務付けられたグループ。

心理テストを行った結果、散らかったグループに異変があった。

ありもしないものを視認するという。

そこに存在しなかった虫が見えたり、置いていないものが見えたりするという。

人間の知覚機能には限界があり、散らかった情報の中で、情報が処理しきれずにいわばゆるい錯覚を起こしてしまうのだとか。

禅宗では身辺整理をものすごく厳しく義務付けられている。その辺のこともよくわかるような気がする。根性論ではなく、心理学的にも正解なメソッドなのだ。

座って、内面の思考を止めることを試みる以上、他の情報は最小限に削減していかないと到底できるものではない。

どうでもいい些事に頭を使っていたのでは、落ち着いて座っていられないというのが実態だろう。

できるだけシンプルに。

散らかった部屋で、そう結論が出たあとに、いつも思う。

わかっちゃいるけど、やめられない。。。

2016年10月9日日曜日

電源ケーブルなしの恐怖

macbookairを持ち歩く前に、いつも思うのはバッテリーが大丈夫かどうか。

心配して、杞憂であったことしかないのに、いつも神経質になってしまう。それもこれも、昔使っていたシグマリオンやモバイルギアが、肝心な時にバッテリ切れになったいたことがあったからだ。

それに比べて、macbookのバッテリは格段に耐久性が良くなっている。ちょっとやそっとのことで、どうなるものではない。二年近く使っているが、リフレッシュさえこまめにしていれば、長持ちしている。

しかしどうしても、バッテリが気になる。充分に充電したあと、結局帰宅まで一度も使わなかったということもある。実際には必要ではなかったのだ。

ジョブズ崇拝者ではないから、macbookがなくても、痛くもかゆくもない。

だが、いざ喫茶店などで、腰を落ちつけたり、ウェブを見ないといけないことになって、あわあわとなるのが怖い。

そんなことは一度もなかったのに。

ありえもしないことを、あらかじめ心配して、気疲れする。

ありえもしないことを夢想して、現実逃避している人と大差ないか。

2016年10月8日土曜日

駅前の007

駅前で買い物をして、いつもと違う道を歩いた時、狭い通りの向こうにライトのついた看板が見えた。

「007」

例のテーマ曲が脳裏をよぎる。(ダニエル・グレイブではなく、ショーン・コネリーか、ロジャー・ムーアぐらいのバージョンで)

どんな店なんだろうか。

まさか工作員が密かに集うにしては、大失敗である。いや、ひょっとして新兵器や暗号グッズなどを取り扱っているファンシーショップなのではないか。いや、翻訳ものを中心にスパイ小説やミステリを扱っているブックカフェなのではないか。

ぼんやりそんなことを思っていると、呼び込みの人が近づいてくるので、逃げる。

何でも、お姉さんがお隣でお酒をご用意してくださるお店らしい。ボンドもナメられたもんだ。

どこだったか、アホな校長先生が、保護者のお母さんに対してセクハラまがいのことをして、

「007的な態度が出てしまった」

みたいな頓珍漢を証言していたのを思い出す。

そうである。007は殺しのライセンスとか関係なく、日本ではポコチンのコードネームなのだ。本当にボンドもナメられたものだ。

暗黒街でひとくせ、二癖ある連中に囲まれて、自らのルールに殉じて高潔であろうとする男。チャンドラーが描くハードボイルドの世界である。

それを読んで、イギリス版を書きたくなったイアン・フレミングが一生懸命がんばったが、無理だった。

そこで考えた。

ワイン通で、女性にもてまくり、グーパンチで悪人をあっという間に倒せるヒーロー。ハードボイルドの真逆をいくアイドル。

それがジェームズ・ボンドなのだ。

だから、ボンドは決して殴られても、口の中を切らない。(ジョージ・レーゼンビー以来、新任ボンドの初回作品は必ず「リアルな人間的ボンド」を売りにするが、その実験は必ず失敗して、二作目から元のヒーローものくさくなる)

ハードボイルドはナルシズムの傾向が強いので、好きではない。しかしボンドはもっと苦手。

そしてそれが格好いいと思っている人が、もっともっと苦手。

イタリア人男性のような、軽さと、フランス人男性のようなオシャレを、イメージされがちだが、それは単なる思い込み。

何より、ショックなことは、イギリス人が一番ボンドを嫌っているということ。

イギリス作家の中でも、フォーサイスやヒギンズの主人公たちは、決して人妻さんといちゃいちゃして仕事した気分にはならない。ワインどころか、コーヒーすら飲むのもままならないような、逆境で戦っている。

007の呼び込み店員。仕事とはいえ、そういう仕事もあるのかと思うと、しょんぼりした気分になった。

2016年10月2日日曜日

下巻だけを買うことはない

ブックオフに立ち寄る。しばしば見かけるのが、下巻だけの在庫である。

上巻は多分、買われたものの、下巻だけ、そこで生き別れになって残っている。

何年もかけて、岩波文庫の、ある上中下の3巻を揃えたことがある。(未だに読んでないけど)

しかしこれが実現することははっきりいって、めちゃくちゃレアである。

この相方を失った、健気な下巻の行方がいつも気になる。

いや上巻だけを買って、下巻を買わなかった客のことを密かに恨んでしまう。(そういうと、2巻目から揃っている徳川家康の多いこと!)

安いんだから、せめて上下巻で買えとか思ってしまう。少なくとも、自分はそうしている。

何のことはない。もしも面白くて、下巻も安く手に入れたいと思ったのに、店頭になかったら、と不安になってしまうからだ。

(読んでない複数巻もの不良債権が際限ないこと)